イタリア
いくつかの観点からイタリアをまとめてみる
歴史
古代ローマ
紀元前8世紀〜王制ローマ
共和制ローマ
重装歩兵
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カルタゴと地中海を巡って100年以上戦う
ハンニバルとスキピオ
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ローマが勝利してさらに発展
funwarioisii.icon 普通に100年も戦争して勝っても体力の消耗激しそうだし、すごく遺恨を残しそうなのに発展してるのは怖い。100年戦った後のローマに勝てる国が周辺に育たなかったのも。
帝政ローマ
五賢帝時代
領土がピーク
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しかし大きすぎて統治不可能
西ローマ帝国と東ローマ帝国
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同じ時期にゲルマン民族の大移動
西ローマ帝国滅亡
ゲルマン民族の影響
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バラバラに
フランク王国の誕生
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これも分裂
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そのままフランスとドイツとイタリア
神聖ローマ帝国時代?
北部と南部で異なる発展
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神聖ローマ帝国の中でそれぞれの地方が抵抗できるほどの力を持ち始める
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南部ではナポリ王国とシチリア王国が育つが、ナポリ王国はフランスに、シチリア王国はスペインに支配される
イタリア戦争
各地域が入り混じって混沌としていたので領土問題が発生し、戦争へ。
フランスと神聖ローマ帝国の戦いになり、神聖ローマ帝国が勝利
しかしスペインが領土を広げる
しかしスペイン継承戦争でスペインの支配が及ばなくなるが、 オーストリアが支配し始める
フランス革命でナショナリズムが勃興し、ヨーロッパ全土へ、イタリアへ影響
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ガリバルディが南部をサルデーニャ王国に譲理、1861年にイタリア統一
北東部に未回収のイタリアが残る
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第一次世界大戦では中立の立場を取っていたが、連合国に加入
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1919年のベルサイユ条約で未回収のイタリアの一部を獲得するにとどまる
経済的にも貧しいところに社会主義の考え方が入ってきた
ムッソリーニの台頭
国王からのバックアップもあり、首相に
1920年にムッソリーニは綱領から社会主義的な表現を一掃し、愛国心・戦争礼賛・偉大な国家イタリア、といった情緒的な表現を強め、反議会主義、反社会主義を鮮明にした。ムッソリーニの情緒的主張は、19年から20年にかけて盛り上がった社会主義者によるストライキで工場占拠などが相次いだことに強い不安を抱いていたブルジョワ保守層の注目を集めることとなった。1920年末頃から、北イタリア各地に復員兵などによって「襲撃隊」と呼ばれる民兵組織が作られ、社会主義者に対する暴力的な敵対行為が開始されると、ムッソリーニは襲撃隊を傘下に収め、ファシスト運動を政党化し、1921年10月に「全国ファシスト党」を結成しその最高指導者となった。
ref: https://www.y-history.net/appendix/wh1502-108.html
ムッソリーニとヒトラーの協調から第二次世界大戦ではドイツ側で戦う
敗戦が続き、連合国側からの支配が強まり、連合国側に入る
その結果、ドイツから侵略される
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国民も含めて抵抗してドイツを追い出す
funwarioisii.icon 武装してる市民は攻撃対象になるからかなり蹂躙されるのでは
イタリア共和国に
ref: https://www.youtube.com/watch?v=K3tyeasgrpo
その他のイタリアトピック
カノッサの屈辱: https://www.y-history.net/appendix/wh0601-177.html
1077年、ドイツ王ハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世によって破門されたことに対し、カノッサ城で面会して許しを哀願した事件。破門の理由はハインリヒ4世が聖職者叙任権を行使したことに対する教皇の怒りであり、破門を恐れたハインリッヒにとって許しを請わなければならなかったことが「屈辱」だった。この事件は教皇が優位にたって破門を取り下げたが、その後ドイツ諸侯の支持を取り付けたハインリヒ4世が反撃し、対立教皇を立て皇帝即位を承認させた後、グレゴリウス7世をローマから追放した。この事件はローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との聖職叙任権を巡る争い(叙任権闘争)を激化させ、1122年のウォルムス協約まで続くこととなった。
funwarioisii.iconドイツがブイブイ言わせてたけど、教会から手を切られるとしんどいみたいなのがあったのかな
アナーニ事件: https://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-110.html
1303年、フランス王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世に退位を迫り、教皇が憤死した事件。ローマ教皇権衰退を象徴する事件であった。
ルネサンス: https://www.y-history.net/appendix/wh0902-001.html
14~16世紀、イタリアから始まり西ヨーロッパで展開された文化、芸術の運動。同時期の大航海時代、宗教改革の動きと共に、ヨーロッパの中世から近代への移行期(近世)の出発点となった。
14世紀のイタリアに始まり、15世紀に最も盛んとなって、16世紀まで続いた、ヨーロッパの文化、芸術上の動き。15世紀末に本格化する大航海時代、16世紀の宗教改革、さらにイタリア戦争から顕著になる主権国家の形成などと密接に関係しながら、近代社会の成立を準備した動きと言える。
funwarioisii.icon この辺がイタリア統一運動の前の機運の高まりになっていたりするのかな
ルネサンスを「近代の始まり」とする見方は現在では後退し、「ルネサンスの限界」が指摘されている。たしかにルネサンスは、文化、芸術、思想上の運動であり、キリスト教支配そのものや封建社会そのもへの批判や破壊を目指すものではなかった
戦後のバチカンと共産主義
より様々なトピックが拾える
https://www.youtube.com/watch?v=UbgVMd13zFU
食
前提
歴史的経緯からコムーネごとの文化の発展
北部・中部・南部の気候の違い
アペニン山脈による東西の分断
パスタ
Tagliolini
米
乳製品
オリーブ
トマト
郷土料理?
食いしん坊にはたまらない!サンミニアートの「白トリュフ祭り」、 | トスカーナ自由自在
建築
景勝地
Val d'Orcia
アプリ
The Fork を入れておくといいらしい
ヨーロッパの食べログ的なやつ?予約ができてクーポンもあるらしい