コンテキストは思っている以上に共有されていない
「これでよろしいでしょうか」などとといきなり話を持ちかけてもお墨付きはもらえない。根拠や過程がなければそれが妥当なのかどうかを判断できないからだ。ところが、根拠や過程を述べられない人はそれなりに多い。
自分の中で考察を重ねるほど、コンテキストを何度もなぞってきた分、それが当たり前の前提条件であるかのように思えてしまう。しかしそれは自分だけのことだ。そのような意識がなければコンテキストが改めて説明されることはない。話す方と聞く方とがもつコンテキストへの理解の向き・度合いは開く一方だ。
話し出す前に、相手は自分と同じように考えてきているわけではないということは想像しておく必要がある。そうでなければ、話す方が単に話したいことを話しているだけになってしまう。