メタファーは概念に構造を与える行為
210414
車は、種。
屁理屈は、ステンドグラス。
リモコンは、万能薬。
ランドセルは、大聖堂。
会議室は、仮説。
自己嫌悪は、おとぎ話。
絵文字は、ライフル。
方位磁石は、箸。
伝言ゲームは、越境。
メタファーは意味について遊びがあり、言葉とその内容が1:1の対応関係にない。ゆえに、意味に対して常に開かれている。開かれたメタファーの意味を紡ぐのはあちら側(言葉)ではなく、こちら側(私たち)。
意味のない言葉のつながりについて意味を求めていってしまう機能がある、というのがとても重要な気がしている。意味を確定しない表現を選ぶことで、逆に無限の意味を生産する可能性が立ち現れる。
(人間には)そういう機能がある。
文章の意味の担い手の半分は常に我々なのだ。だから、文章が意味を作ることを放棄してももう半分の我々が勝手に意味を作ってしまうこともある。
210504
G.レイコフとM.ジョンソンによる『Metaphors We Live By(邦題:メタファーと人生)』を読んでるんだけど、メタファーは概念に構造を与える行為だと言われ唸った。
例えば「絵文字」はこの時点で既にメタファーになっていて、イラストを「文字」と言い切ることで「おはよう😁」と文字と合わせて使うような理解が浸透した。それを「絵文字はライフル」と言い切ると今度は「送信は"発射"」「相手の心を"射抜く"」みたいなライフルの構造を借りた再解釈が発生する。
「時間は金だ」という表現は「時間=金」という単発の結合を作って終わっているように見えるが、実際はそこから「時間を"節約"する/"浪費"する」「時間を"稼ぐ"」「時間は貴重な資源だ」のような無数の下位構造がセットで発生しているという……
そしてこのメタファーによる構造化は他の概念の構造をそのまま借りてくる手前、本来のモノが持ってる何らかの特徴を隠蔽することにも繋がる。だから「絵文字はライフル」みたいなメタファーによる再解釈は絵文字の新たな性質(文字が持っていない絵文字の性質)を暴くことにもなる。
絵文字が持っている「ライフルみ」なんてものはさっきまでは全く存在しなかったのに、「絵文字はライフルだ!!!!」と高らかに宣言した瞬間に絵文字が潜在的に持っていた"発射性"や"攻撃性"、"命中率"、"標的"みたいな概念がぐんぐんと立ち現れてくる。