高円寺
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1つ目の投稿は高円寺や阿佐ヶ谷に対する批判的な内容なのだが、それを引用した2つ目の投稿は「恐ろしいことにこれはおそらく事実で」と高円寺批判を正しく受け入れているように見せて、文中で「今でも若いと自分自身で思い込んでる高齢者」【だけ】ではなく「古着目当ての若い子と外国人」もいると1つ目の投稿を巧妙に否定している。
そしてそのわけのわからない「化学反応」や、「誰にも理解不能」性こそが高円寺であり、その場所の名に託した「今でも若いと自分自身で思い込んでる高齢者」≒サブカルチャ―人間のアイデンティティーだったりするのだから「高円寺は今も昔も高円寺」「何も変わりない、今まで通りこれからも誰にも理解不能なまち」ということになっている。
自分は東京を離れてもう20年近く経つ、高円寺に最後に行ったの、無力無善寺に15年前に出演したのが最後くらいなので、この高円寺理解が正しいかどうかわからない。若い人の高円寺に対するイメージや、駅前ロータリーでそんな感じで今も楽しく飲めるのか試してみたい。