逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし
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この人も恋の名人だったらしい。百人一首。もうそんなやつばかりだ。恋愛が人生の多くのウェイトを占める。古今東西。それは今も昔も変わらないんだろうと思いつつ、他方で「そんなに恋とかどうでもよくない?」。百人一首が「わからなくなる」世の中の到来も結構近いんじゃないかとも思う。そして中納言朝忠(藤原朝忠)。笙の名人でもあったそうである。恋と音楽に身を焦がす。今だったらいいとこのバンドマンのおぼっちゃん、という感じだろうか。うぃっしゅ! 「逢うこと」とあるのはもう思いっきり「男女」のそれなので「寝る」とかそういう意味だろう。そう考えると和歌すごい。31文字しかない中、冒頭から「セックスが」と詠んでるわけだから風流もいいところだ。「絶えて」は「〜ない」と後ろに否定系を伴って強い否定を表す。「なかなかに」は「かえって」。だから「逢うことが絶対になければ、かえってあの人も我が身も恨まないだろうに」といった歌の意になる。
まあそうだろうな、そりゃそうかといった感慨しか最初は起こらなかったのだが、よくよく考えるとサラッととんでもないことを言っているというのは、この人、かなりの恋愛巧者なわけで、ということはつまりこの歌も実は結構調子のよいプレイボーイのセリフのようにも読めるからだ。
「逢うことが絶対ないならこんなに恨みに思わなかったのに」は「逢うことだってあるからこんなに恨んでる」である。それは「もっとたくさんあなたに逢いたい」「逢ってほしい」というストレートな意味にも当然取れるが、「いっそのこともう逢わないでいてくれないか振ってくれないか」という意味にも聞こえてくる。プレイボーイは別れが肝心。「別れなければ君、また逢えないじゃないか」とは三遊亭圓楽の名セリフだが、「君があまりに魅力的だから。振ってくれないか」と相手に提案を持ちかけているようにも読める。 さらに別の解釈だって成り立つ。「この距離こそベストな距離なのでこのままでいて」という意味かもしれないのだ。そんなに「人」を恨んでしまうなんて「その人への気持ちが極限になっている状態」、つまり「今が一番あなたのことを思う気持ちが強いのです」という意味にも取れる。
中納言朝忠は同じく百人一首の右近とつきあっていたらしい。この歌は右近に送られたものではないだろうが、では、あなたがこの歌を送られたらどうするか。①そんなに逢いたがってるなんて!と思ったら「私も逢いたい」と色の良い返事を返すだろう。②そんなに辛いだなんて.....と思ったら「だったらいっそのこと」「あなたのためを思って」とバッサリ相手を袖にするだろう。③そして「うーん、でも、今くらいがちょうどいい頻度かなー」。そう思ったら......そう返せばよい。いわゆるキープというやつだ。どう思おうが自由である。①②③どのパターンでも歌詠めそう。要するに、受け手によってどうとでも返事ができてしまう投げ方なのだ。だからこそそこに「駆け引き」が生まれる。 この人のこの歌、読んでも全然つらさや湿っぽさを感じない。むしろ圧倒的な余裕を感じる。それは「辛いよー恨んじゃうよー」と言いつつ、「言うても逢えてるんやんか」「相手他にもおるやんか」「楽器もできるやんか」。要するにこいつがモテるからに他ならない。こいつって言っちゃった。
そう、こいつ。こいつは駆け引きを楽しんでる。だから歌にどこか必死さのない、クールなアトモスフィアが醸し出されているのである。moriteppei.icon240222