藪の中
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芥川龍之介の小説。殺しの下手人は誰だ!を3人の視点から語るのだが、3人とも「自分がやった」という。3人の中にはイタコで降霊された「殺された本人」も含む。まさに真相は藪の中。 単に「様々な視点から語る」「三つの視点から語る」だけではなく「語ってる事実の間に矛盾が見られる」のが藪の中の特徴なのだが、前者の意味で「藪の中方式」と使われることが多い気がする。
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黒澤明の羅生門は、この芥川の小説をモデルにしてるらしいんだけど、単に語り手が三人いるのか、それぞれの事実が相互に矛盾するところまで行くのかが謎。見てみたい。 セクシャリティにおいて、マジョリティとマイノリティが並列にされてたら問題なのはその通り。
でもセクシャリティにおけるマイノリティが、障害などの他のマイノリティ属性に気づかず踏んでしまうことはありうるし、そのことを描くことは単なる「並列」ではない。鈴木が言及してる怪物はその可能性を描いている。 moriteppei.icon 『怪物』、三つの視点(母親、先生、子ども)を並列にしてるだけなら単なる相対化だけれども、この作品って「事実はわからない」なんて言ってないじゃんね。だから単純な相対化やマルチアングルではないと思ってる。