藤本タツキ
藤本タツキ、単にコマごとにどう展開したら意外性あって引っかかるかしか考えてないもん。だから「何かありそう」なんだけど「何もない」。これが良さでもあるしつまんなさでもあるなと。
実は自分が藤本タツキとスタイル似てると思ったのが『ハンチバック』なんだよね。一文一文捻って落とすツイスト文法。でも、ハンチバックは(社会モデルとしての)障害と、障害が「可能にしている/不可能にしてる」コミュニケーションというテーマが一本、ビシッと決まってる。 だから市川沙央読んだ後に藤本タツキ見るとなんかいかにも中途半端というか「だから何」ってなっちゃうんだよね。しかも最近、みんなあの藤本的な捻りに慣れちゃったでしょ。だから意外性を狙っても「藤本らしいなあ」で終了してしまう。 ぼくは藤本タツキの漫画、好きですよ。おもしろい。ただ、彼、漫画の中のキャラクターがそういうこと言ってるんだけど、「面白ければ何してもいいんだよ映画は」と。この「映画」を「漫画」に変えたらそれが藤本の漫画観だと思うんですよね。 何してもいいって無茶苦茶な……と思うかもしれないけれど、これは「映画ではそうだけど現実ではそうではない」「そうしてはいけない」という意味で自分は解釈してる。本来であれば創作物はおもしろければいいはずなんだけど、藤本にそんな漫画を描かせて安全と言えるほど世の中の治安がよくない、政治的不公平がひどすぎるのだと思う。
藤本タツキ、意外な脱臼のさせ方でテンポ作る芸風だから、少しでもテンション落ちたり、こちらがそれに慣れてしまうと「またタツキっぽいの来た」とまったりしてしまうんだよな。