落下の解剖学
https://media.eiga.com/images/movie/99295/photo/b25bdf73cd401dba.jpg
これが長編4作目となるフランスのジュスティーヌ・トリエ監督が手がけ、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞したヒューマンサスペンス。視覚障がいをもつ少年以外は誰も居合わせていなかった雪山の山荘で起きた転落事故を引き金に、死亡した夫と夫殺しの疑惑をかけられた妻のあいだの秘密や嘘が暴かれていき、登場人物の数だけ真実が表れていく様を描いた。 人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家のサンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく。
この映画を「おもんない」って言う人もいるんだ.....すごいな。
とはいえ、1回見ただけじゃ何が何だかよくわからない作品というか、一見すると「余計」、つまり「そうじゃなくても別に同じ話はつくれる」設定がたくさんあるので、「なぜその設定を入れたのか」がすごく気になってくる。
息子ダニエルが事故で視力障害。視力障害である必要は実はない。だって、事故現場に完全に居合わせたわけじゃないから。見えてても見えてなくても情報に差はない。「死亡した夫の過失のせいで息子が重篤な障害を得た」ことにさえなっていればこれは何でもいいのではないか。
母サンドラ。バイセクシャルだとかドイツ出身で英語を喋るとか、これも実は物語上は必要がない。 むしろ「バイセクシャル」であることは、夫に対し不実をしていた、不倫をしていたといった設定からすると、非常に問題があるとすら言えるし言うべきではないのか。怪物にはめちゃくちゃ文句言ってた人たち、これは大丈夫なのか? ヘテロセクシャルだったとして同じ話にしたら.....と想像してみたが、途端にサンドラに対する心証が一気に悪化するんだよね。夫とはセックスレスだからって、別の女性と関係を持ったならそれはまあ.....という感じになるのだが、別の男性ととなった瞬間「やっぱ殺したんじゃねえか」という気持ちになっていく。ここでヘテロかバイかで視聴者は扱いを変えていないか?変えさせるために脚本家はサンドラがバイセクシャルだという設定を入れていないか。
サンドラは主に英語を話すのだが、でも、サンドラにとっては英語は母語ではない。彼女の母語はドイツ語なのだが、英語をかなり流暢に扱う。「英語じゃないと自分の気持ちを表せない」かのようにサンドラは言うし、普段は母語ではないフランス語で表現力にハンディがあるかのように言うが、英語も母語ではないし、むしろ母語ではない言葉でそこまで流暢に話せる言語能力は弱者ではなく強者であるようにも見えてしまう。
夫との言い争いの場面がそう。夫の母国はフランスで、だから二人で話すときは歩み寄りで「英語を話してる」かのように言っているが、英語運用能力はどう考えてもサンドラのほうが高いわけで、夫のほうが上手く言葉にできないように見えてくる。
ここ、二人ともフランス語話者でフランス語でやりあっているようにすると夫の弱さの印象がもっと弱まるだろうなと。
夫は「自分は子どもの世話や家事で執筆の時間がない」と不満を垂れてるんだけど、これ、ヴァージニア・ウルフはじめ、女性がずっと言ってきたことに近いというのも、それに対して女性のサンドラがいくらでも自分で時間を作ればいいでしょというのも、女性が言われてきたことを言い返してる構図にも見える。 全体的に法定物のミステリーのように見せて、結局、夫婦のどっちがどう悪いのかという夫婦ケンカと、それを聞かなきゃいけない子どものシチュエーションそのまんまとも言える。