英語に訳しやすい日本語
これを要するにわれわれの書く口語体なるものは、名は創作でも実は翻訳の延長と認めていい。 故有島武郎氏は小説を書く時しばしば最初に英文で書いて、しかる後にそれを日本文に直したと聞いているが、われわれは皆、出来たらそのくらいなことをしかねなかったし、出来ないまでもその心組みで筆を執った者が多かったに違いない。それは努めて表現を清新にするための手段でもあったけれども、正直のところ、 美しい文章、 ひびきのいい文章、―ということよりも、まず第一に西洋臭い文章を書くことがわれわれの願いであった。かくいう私なぞ今から思うと何とも恥ずかしい次第であるが、 かなり熱心にそう心がけた一人であって、 有島氏のような器用な真似は出来なかったから、 その反対に自分の文章が英語に訳しやすいかどうかを始終考慮に入れて書いた。 西洋人はこういういい廻しをするだろうか、 西洋人が読んだらどう思うだろうか、 と、 それがいつも念頭にあった。陰翳礼讃 谷崎潤一郎現代口語文の欠点について70ページ