為末大氏への応答
こういうことをおっしゃっていたので、
と応答したところ、
とおっしゃったので、
と返答したところ、
とのお返事をいただいた。
まずは丁寧なお返事をくださった為末氏に感謝です。ありがとうございます。
また「正義」についての為末氏の定義も非常に興味深く、新しい視点を提供してくださるものでした。
その上で私が言いたいことを以下に箇条書きで書いていきます。(ちょっと書き方ラフになりますがご容赦ください)
一番私が問題にしたいのは正義や不快の定義ではないです。
この社会において「不快を正義と呼んではならない」と言うことの機能的側面、その問題点です。
これは一方で単に自分が不快に思ったからというだけで他者にその価値観を押し付けることを戒める言説です。為末氏もこのことを念頭に置いていたかと思われます(なのでその点について自分に異論はありません)
他方でこれは本当は広く一般的に社会の中で合意が形成されるべきことであるのに、それを「単なるお前の快不快だろ」(それってあなたの感じ方ですよね?)と「お気持ち化」する=まともに取り合わなくていいと、社会の中である種の人たちの訴えを無効化する機能も持ち得ます。
実際、セクハラなど、今では「お気持ちや感じ方の問題ではなく社会的不正義である」と広く合意を得られたものが、当時は「あなたの感じ方でしかないのでは?」と個人の気持ちの話にすりかえられてきた例は枚挙にいとまがありません。
為末氏の言葉は、それを意図したものかどうかはさておき、実際にはこの手の沈黙化の文脈でも、現在でも非常に頻繁に使われるものです。
「偏見が加速」しないように「多様な友達」づくりを心がけているであろう為末氏にとって、そのような言説効果は好ましくないと思われます。
であるため、私は「その反面」という意味で、
と書きました。
もちろんこれ以上に細かく、根本ベースで、「正義とか何か」や「快/不快とは何か」を論じることもできるとは思いますが、私はここでしたいのはそういうことではないし、それをしなくても上記の話は受け入れ可能かと思われます。
もう一点、為末氏が論理的思考とは何かという書籍を参考にあげられています。この点についても本筋とは外れるかもしれませんがちょっと言いたいことが(笑)。 https://gyazo.com/ef265266ba4d3dbb03d4f12457d27ad9 https://amzn.to/45OGGg3
この本を称揚する人は多いのですが、私は非常に問題だと思っています。
まず、「論理的思考とは何か」というタイトルだけど、この本の「論理的思考」というのは「何が合理的な著述スタイルだとされるか」程度のことでしかないので、まるで「論理的思考が国によって違う」かのような結論をこの本が引き出してること自体が正直妥当だとは思えません。
実際、「論理的推論」自体は国や地域を問わず普遍だとも認めています。普遍的で絶対的なルールもあるし、そのベースで話もできるわけです。むしろ「普遍的な論理がある」という主張だと見たほうがよいのではないか。
また研究スタイルも非常に問題があると思います。アメリカの大学での著述スタイルやフランスノディセルタシオンと比較されるのがなぜ日本の「読書感想文」なんでしょうか。 日本の大学教育でも「読書感想文」的な著述スタイルを「論理的」だと教えているならわかるのですが、違うでしょう。大学のレポートや論文で読書感想文のような書き方をしたら、指導入ってリジェクトされるはずです。
つまり日本でも「読書感想文」は非合理的だと考えられているわけです。
この手の文化相対論は容易な「日本特殊論」にも結びつくのでそういう意味でも注意が必要です。
以上長くなりました。私からは以上です。丁寧なお返事をいただき、また貴重なお時間をいただきありがとうございました!