法然の衝撃―日本仏教のラディカル
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法然をキー・パーソンに選ぶことには、 異論もあろう。 だが、 私は、 本書で詳述するように、 倫理道徳、 政治、死者祭祀、神祇崇拝など、 この世の一切の営みから超越した、 宗教的価値の絶対性をはじめて明確に主張した点において、 また、その救済原理がすべての人々に開かれた普遍性をもっている点において、 法然をもっとも革命的な人物とみる。 法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 ・8ページ 民俗学の教えるところによれば、 神は、時を定め、 あるいは場合によれば不意に、 人間界を訪れるもので、 決して人間世界に常住しているものではない。 人々は、 祭りの季節になると、神を迎えるために忌み慎み籠る生活に入る。 やがて来臨した神を迎えて祭りを行ない、 祭りがすむとふたたび神を送りかえす。 神は、 祭りの期間だけ人間と共存する。 その際の、 神の宿る目印が、ヨリシロ (依代) にほかならない。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 40ページ このように、 伝統的な神観念では、神は常に存在するものではない。 それは、祭りの時にのみ存在する。 ところが、 「仏神」は、 仏像という偶像に常在するのである。 仏像は、単なる木片や石ころ、 銅片なのではない。 仏像は、あくまでも、 「法身」 といわれる仏教の真理が、 形をとったものなのである。 日本人は、この時まで、このような偶像というものに出会ったことがなかった。 たしかに土偶は存在していたが、おそらく呪物の一種であり、信仰の対象ではなかったであろう。 ヨリシロでもなく土偶でもない仏像。 それだけに、 仏像の理解は容易ではなかったはずである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 41ページ ところで、古代人はなぜ、 〈常在する仏〉 を受け入れるにいたったのであろうか。 神は常在せずという、伝来の考えを混乱におとしいれてもなお、 仏の常住性を認めるにいたったのは、 何ゆえであったのか。 そこには、僧侶側の熱意とは無関係な、 民衆側の潜在的要求があったのではないか。 それを解く鍵は、 今まで非常在的だとのべてきた、神の性格にある。はたして、すべての神が非常在的なのかどうか。 益田勝実はいう。日本古代の神には、「祭りの季節にだけ訪れる祖神という守りガミ」と、「身辺に常在する多くのたたりガミ」の二種があり、「日本民族の信仰形態の祖型」としては、 「遠くにいる守りガミと身辺を取り囲むたたりガミたち、という複合模型」が有効ではないのか、 と ( 『秘儀の島』一八二頁)。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・42ページ とすれば、仏の常住性が受け入れられた理由も、おのずから明らかになるであろう。 仏は、「たたりガミ」 から、人々を〈常時〉 守る神として受け入れられたのではないか。 仏の常在性とは、 「たたりガミ」に対する庇護の常在を意味したのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 43ページ このように、死者の鎮魂慰霊、追福に役立つ仏教というイメージは、 日本伝来以前に十分につくられていた。 したがって、日本に伝来してきた仏教が、 その高度な哲学とは別に、 まず何よりも死者祭祀の宗教として受容・普及されたことは、 当然のなりゆきなのであった。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・45ページ とくに、当時の人々が信奉していた神々は、 氏の血縁、 ないしは氏の支配する地縁の人々を庇護するにとどまっていたのであり、それに比べると、 「仏神」 が、 特定の血縁や地縁を越えて、一切の人間に恵みをもたらすということは、明らかに 「仏神」 が、 従来の神よりも一段高い神性の持主として、意識されていたことを示しているといえる。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿48ページ 死者祭祀と結びつつ受容された仏教ではあるが、 仏教は、 単に従来の呪術と同じレベルにとどまっていたのではなかった。 そこには、明らかに今までの死者祭祀とは異なる様相が生じていた。 それは、死者、とくに横死者をふくめて、一切の衆生の得脱をはかるという精神の誕生である。 のちにそれは、いわゆる葬式仏教の普及と共に、「三界万霊」 という言葉となってひろく日本列島に根を下ろす。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 49ページ そして、さらにこのような二重構造は、 神と仏の関係にも現われてくる。 人々は、仏に直接祈願をするよりも、神を通して仏に接しようとするのである。 仏もまた、 衆生に直接示現するよりは、 神を通してその慈悲を垂れようとする。 この事態は、いわゆる神仏習合とよばれてきたことだ。 神仏習合は、教科書風にいえば、 八世紀頃から姿をみせ、 平安時代中期には本地垂迹という理論が生れたということになるが、 子細にみていくと、 単に神と仏の関係にとどまるものではない。 つまり、 神仏習合は、その前段階として、特殊な神を通してより大きな力をもつ神に近づこうとする、独自の意識に基づいていることを見逃してはならない。 そして、 そのような意識は、八世紀をまたずとも成立していたのであり、 また現代にも生きている。 神仏習合といってしまうと、われわれには関係のない遠い過去の話と思ってしまうが、その基盤にある意識は相当深いといわねばならないのではないか。つまり、われわれの祖先以来の伝統では、 救済はいつも、身近で親しみのある特殊な神と、一層普遍的な神仏という二重構造から成り立っていたのであり、神仏習合も、その一つの表現でしかないのである。 論じるべきは、特殊と普遍からなる、われわれの宗教意識なのである。 結論だけをのべておけば、 この二重構造を破り、普遍に直結することを教えたのが、 法然の専修念仏にほかならなかった。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 52ページ 複雑多岐にわたる日本仏教のものの考え方を探求するにあたって、 私は、 柳田國男にヒントを得て、いつも日本仏教を二つに分けて考えることにしている。一つは、 〈鎮魂慰霊の仏教〉 であり、もう一つが 〈自家用の仏教〉である。 〈自家用の仏教〉 とは、現に今生きている、 この私の究極的な安心を説き示してくれる仏教である。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 • 54ページ 法然の仏教は、専修念仏とよばれる。 文字どおり、 念仏だけをひたすら修することを教える。 問題は、その念仏の性格にある。法然以前においても、 すでに念仏は広く流布していた。 法然が発見したのは、その念仏の背後にある阿弥陀仏の本願という救済原理なのである。 法然が教えたのは、この本願に裏付けられた念仏にほかならない。 / では、本願念仏とはいかなるものなのか。 昔、阿弥陀仏がまだ仏となる前、 法蔵比丘という名前の修行僧であったとき、 当時の仏であった世自在王のもとで、 仏となるために修行をする。 その際法蔵は、 自分が仏となった暁には、すべての仏の国土よりもすぐれた国土を建設したいと願い、 四八の誓いをおこし、もしその誓いのすべてが実現しないのなら、 自分は仏にはならないと決意した。 そして、きわめて長い年月の修行の結果、 法蔵はついに仏となり、阿弥陀仏と名のり、 現に今、 西方極楽浄土で説法をしているという。 この法蔵の誓いの一つに、次のようなものがある。 もし衆生が、 自分の国へ生れたいと願って、 自分の名をよぶことがあれば、 その衆生がいかなる人間であっても、 自分の国へ迎えとって仏とする、 と。 本願念仏とは、この誓いに基づく念仏のことなのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・54ページ さて、法然が発見した本願念仏とは、 阿弥陀仏の誓いを信じて念仏することであり、阿弥陀仏の名を称すれば、いかなるものでも浄土に生れて仏となることができると信じる立場なのである。 そこでは、 念仏以外の、 一切の条件、資格は不要であるばかりか、 念仏以外の行を修めることは、 阿弥陀仏の誓いに合致しないということで、かえって浄土往生を妨げる原因になるとし、 否定されるにいたったのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 55ページ その衝撃と感動は、今からふりかえれば、 〈宗教的価値の絶対化〉ということにほかならない。 日本人は、法然の本願念仏によってはじめて、 道徳 倫理など世俗の一切の価値から超越した、 「宗教」 というものを手にすることになったのである。 超越的宗教の発見、 それが法然の革命的意義なのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・56ページ たしかに、阿弥陀仏の本願においては、 凡夫が犯す数限りない悪は一切不問である。 だが、 その真意は、悪を犯さずには生きて行けない凡夫を救済するところにある。 凡夫救済が主眼なのである。 ところが、 『法華経』 を読むことを念仏とあわせて強くすすめる人は、 本願念仏の真意がわかっていない。 つまり、『法華経』 読誦をすすめる人は、「善人」 なのである。 阿弥陀仏の本願をたのむしかない 「悪人」ではないのだ。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・65ページ 法然自身は、 心をしずめ精神を集中して浄土のさまを観想することもできた人である。 だが、そのように精神を統一し、深い瞑想に達すれば達するほど、 人間の心の、底知れない深みを知ることになる。 そこには、 我執に発するあらゆる欲望がうずまいている。 煩悩の発見といってよいであろう。 現代風にいえば、 無意識の自己の発見といってもよい。 私の中には、 私でさえ知ることができない、 荒れ狂う私がひそんでいるのだ。 それは、縁があればかならずや姿を見せる。 少々の精神統一ぐらいで、 それをあらかじめ統御することはむつかしい。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 66ページ このように、 従来の行の一切から見離された凡夫の自覚こそが、 本願念仏を見出したのである。さきに本願念仏という救済原理があって、 そのために凡夫の自覚が必要になるのではない。 凡夫の私という自覚がまずあって、このような凡夫を救いとってくれる教えはないものか、 と悲痛な叫びをあげてはじめて、 阿弥陀仏の本願が仰がれてくるのだ。この順序は、 浄土教にとっては、 大変大切な点である。 法然は、そのことを口をきわめて説いている。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 68ページ 思えば、 凡夫の自覚もまた、 凡夫にはむつかしい。 なぜなら、 凡夫とは、 最終的には、 なにごとにつけても自己に執着し、自己の快楽を求めて生きる、 自己本位の人間のことであり、その人間が、自らの自己本位の悪に気づくのは、よほどの自己凝視がないと不可能だからである。 自己本位の人間であればあるほど、 自己凝視は苦手となる。とりわけ、 知識人や政治家等、 あるいは努力家といった、 自負心の大きな人々は、 凡夫であることの自覚がもちにくい。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 68ページ 「ちから及ばず」とは、法然の思考の特徴をよく示している表現だと思う。 たとえば、 津戸三郎への手紙では、念仏を信じない人になんとかして念仏の教えを信じさせようとすることはさけたほうがよい、と書いている。なぜなら、不信のものを信じさせることは、 阿弥陀仏でも力及ばないことなのだから。 なぜ、阿弥陀仏でも不可能なのか。それは、 「縁」 が熟していないからである。 本人に阿弥陀仏を求める心が生じなければ、 阿弥陀仏も手をさしのべるわけにはゆかない。 本人に阿弥陀仏を求める心が生じるか生じないかは、その人間の「業」による。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 69ページ 信心。信心は「鰯の頭から」 生れるのではない。やみくもに型にはまりこむことで得られるものではない。では、何を知るのか。 わが身を知るのだ。 煩悩に縛られた凡夫であることをよくよく知ること。 次に、 このような自己のために阿弥陀仏の本願があることを、知るのである。 そこではじめてゆるぎのない信心が確立される。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 • 72ページ ところが、法然の専修念仏は、 このようなカミ観念、 あるいは宗教意識とまったく異質であった。 それは、 超越的な救済原理を選ぶかどうかを、個人にせまるのである。 日本人の精神史において、 はじめて出現した現象であった。即自的な宗教意識では、十分対応することはむつかしい。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 • 78ページ ところが、法然の宗教においては、 阿弥陀仏の本願がすべてであり、特別の霊力を身につけた人間が必要となる契機はまったくない。 人々は、 阿弥陀仏の本願とじかに向き合い、それを信じるかどうかだけを自らに問えばよいのだ。そのために教えを聞く必要はあるが、 教えを説く人は、 決して特別の修行をしたり、 特殊な霊力を身につけている必要などまったくない。 教えを聞くのが少し早かったという、たんなる先輩であるにすぎない。 ましして、特別の善知識から秘密に何かを伝授されないと、 あるいは善知識の特別の証明がないと、救済が成立しないという教えではない。 その意味では、日本の宗教史のなかで、 「人神」 信仰を原理的に克服したはじめての宗教だということができる。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 • 92ページ 愛心とは、臨終の時に生じる三つの執着心である。 妻子や財産への執着、 自分自身の死にたくないという気持、死後も生き続けたいという執着である。 いかに法力すぐれた善知識といえども、 この愛心を除くことはできないという。「臨終正念」 を妨げる愛心は、ただ阿弥陀仏のみが除くことができる、 と法然は説く。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 ・ 93ページ さきの章でみたように、 古代から今日にいたるまで、 日本人の多くは、 身近な神を否定することなく、むしろそれを通路として、 あるいは仲立ちとして、 より普遍的な、 あるいはより大きな神に近づく回路を大切にしてきたといえる。それは、キリスト教に代表される一神教からみれば、 雑多な信仰心のようにみえるが、 特殊と普遍を組合せた、それなりの秩序意識に支えられており、 決して雑多ではない。 しかしながら、このような日本人の宗教意識のなかにあって、 法然の教えは、 阿弥陀仏のみを信じるという点で、きわめて異質なのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 ・ 98ページ ある時ある人が、 法然に、 念仏をするのだが、心が散乱してしようがない。 どうすればよいかと質問した。 そこで、法然は答える。 散乱するままに念仏すればよい、 人間の欲望は、 人間に目鼻があるのと同じように、人間に生れつきそなわっているのだ、散乱する心を鎮めてからというのは、あたかも目鼻をとってからということと同じなのだ、阿弥陀仏は散乱する心のままで救いとってくださる、と。 同じように、悪人は悪人のままで、善人は善人のままで、妻帯者は妻をめとったままで、 独身者は独身のままで、 救われていく、と法然は説く。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 101ページ 時代は下がるが、 親鸞の曾孫、 覚如の語録のなかに、 念仏するほどのものは、父母妻子との死別に際して、 嘆き悲しむべきではないというものがいるが、 まったくもって浄土真宗のこころを知らないもののいいぐさだ、と批判するところがある。 念仏する人間は、 日頃の念仏の力で、 悲しくとも泣いたり取り乱したりしないようにしなくてはいけないという、 賢人ぶった主張があったことを示すエピソードといえよう。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・101ページ 浄土真宗を除いて、 日本仏教のどの宗派も、僧侶の妻帯は禁じていた。 もちろん現実は平安時代から、 僧侶の女犯、妻帯は珍しくはなかった。 だが、 そこにはかならず、 なにがしかの罪の意識があった。 江戸時代になると、その罪の意識もなくなり、 僧侶の堕落もはなはだしくなった。 たとえば、一七九六年には、吉原通いの僧侶七十余人がつかまり、一部は日本橋に晒首となり、遠島に流罪となるという事件もあったほどである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 110ページ また、法然は、浄土を願うものの心が、いかにあるべきかについて論じている。 それによると、 こころから浄土を願うことが、一番肝要なこととされ、いかにそとづらが賢く善人にみえても、内心に浄土を願うまことが欠けているときは、 往生はむつかしい、 と批判している。 偽善的な道徳主義こそ、 本願念仏ともっとも遠い立場であることを法然は強調したのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 • 114ページ もとへもどっていえば、仏教の教える根本真理のはたらき、ありようが、 「自然」 なのである。 それは、人間の分別を超えている。 つまり、 「自然」 とは、 現代風にいえば、 人間の思惟、 認識が及ぶことができないという意味で、「超越的」 ということなのである。 親鸞は、別のところで浄土のことをしばしば 「自然」ともよんでいるが、同じ意味である。 浄土は、 人間の分別心を超越したはたらきをもつのであり、 人間からすれば、 あくまでも自ずからなるはたらきというしかない。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 132ページ 宗教者の社会倫理のあり方を問う上からは、こうした法然や親鸞の考え方は、 なまぬるくてあるいは不満に映るかもしれない。だが、 法然の教えによれば、 この世の生き方については、念仏者個人個人に委ねられていたと理解することもできる。 いや、むしろ、 信者の主体的選択に委ねられている点こそが、 今日、 浄土教の社会倫理を考える上でも重要な意味をもっているのではないか。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 134ページ もとより、 法然は、 「神祇不拝」 を第一義に主張したのではない。 「神祇不拝」 は、あくまでも 「専修」の結果なのであった。 法然自身は、 さきにもふれたように、 諸仏諸神を積極的に無視せよとは教えていない。 のちのことだが、親鸞は、専修念仏の弾圧のなかで、 諸神を侮ることがないようにと、 同朋をしばしば諫めてもいる。だが、「神祇不拝」 は、 専修念仏の旗印ともなっていったのであり、日本人の精神史に重大な衝撃を与えることになった。つまり、 日本人は、 法然の出現によってはじめて、伝来の神、 およびそれと習合した仏教のあり方を、原理的に否定することになったのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・142ページ 法然が、 また親鸞が、 阿弥陀仏の本願を信じても信じなくても、名号さえ唱えれば救われると果たしていったであろうか。 あるいは、 往生の条件として我執を離れよということが、 あげられていたであろうか。 法然においては、本願を頼みとする以外に救われようがないという凡夫の自覚が、 他力による救済の出発点であった。 本願を信じて念仏することが、 専修念仏なのである。 一遍は、それを無視する。 名号がすべてなのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・154ページ 第二は、すでにみたように、 一遍が、 一切を捨てることを往生の条件だと考えている点である。 法然は、 果たして、一切を捨てて執着心を断じなければ浄土往生はできないと教えたであろうか。 否、 である。 法然は、 本願念仏は、煩悩を断じることができない凡夫のためであることを主張したのであった。 法然が依拠した阿弥陀仏の第十八願のどこに、一切を捨てて無我とならないかぎり、 往生は不可能であると記されているであろうか。一切を捨て切ることができる人間には、 本願念仏はもはや必要ないのである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・154ページ さて、第三は、一遍においては、 自力と他力の区別が消滅しているという点である。というのも、一遍においては、自力と他力、 迷いと悟りという区別は、凡夫のあり方からのべられていることであり、仏教の根本真理自体は、このような区別にかかわりなく存在すると考えられているからである。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿 155ページ 本覚思想については、学問的にはいろいろむつかしい議論があるようだが、 あえて簡単にいってしまえば、人間は、もともと仏であったという考え方である。 それは、いろいろ修行を積み重ねてはじめて悟りに達することができるという、 「始覚」 とよばれる考え方と対をなしている。 極端にいえば、本覚思想では、一切の修行は不要ということにもなる。 なぜなら、 人はもともと仏なのであるから。 ただ、 そのことに気づいていないだけなのである。 したがって、もし自己の中の仏性に気がつけば、 自己のいかなるあり方も、 仏のあり方として肯定されることになる。そこでは、悪もまた真理の一つのあり方として肯定されるにいたる。 しかも、仏性の存在は、人間に限らない。「草木・瓦礫・山河・大地 大海 虚空」 もまた仏なのである(「真如観」 『日本思想大系』9、一三四頁)。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・160ページ 鎌倉時代に成立した仏教のなかで、 このような葬式仏教への道をもっとも劇的に採用したのは、道元を開祖とする曹洞宗であった。 曹洞宗は、道元の没後一〇〇年を待たずして、 自己の安心を究明する仏教から、 葬式仏教へ大きく転換をはじめ、 一四〇〇年代には道元がもっとも尊重した坐禅はなきに等しい状態となり(圭室諦成『葬式仏教』)、江戸時代になると、村々で葬式を一手に引き受ける大教団へと変身した。今日でも、曹洞宗は日本最大の仏教教団なのである。 もちろん、曹洞宗以外の宗派はいずれも、専修念仏といえども、このような葬式仏教化をまぬがれるものではなかった。 今日の日本仏教は、 葬式仏教である点においては、通仏教なのであり、宗派の区別は意味をなしていない。法然の衝撃―日本仏教のラディカル 阿満利麿・183ページ