村上龍
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W村上ってたしかに戦後日本の男性性をめぐる表裏なんだよなーーー。ホモソーシャル=鼠から離れて性愛対幻想に向かった村上春樹と、むしろホモソーシャルから愛と幻想のファシズムをやろうと共同幻想の革命を追求した村上龍と。団塊世代の学生運動をどう総括するか、という話なのかもしれない。 『コインロッカー・ベイビーズ』は紛れもなく傑作で堂々たる一流の仕事だが、これはアイロニーではなく心からの賛辞として言うのだけども、村上龍総体は「何を撮っても面白い最高のB級映画監督」のようなところがある。「なんて馬鹿馬鹿しい」と思う作品まで小説を読む快楽に溢れていて困ってしまう。
村上龍が再び評価されるには、この徹底して時代と寝た小説家を時代から切り離す作業と時間こそがむしろ必要で、龍の著作を偶然手に取った未来の読者が、「同時代性は感じないし、価値観も理解に値しないし、共感も全く出来ないが、小説としては面白い」と苦笑しながら思う時が来るし、そう読めばいい。
そんなことを村上龍について、マーティン・エイミスの『関心領域』を読んでいたら思った。エイミスは龍よりずっとアイロニカルだがやはり同時代的に読まれてしまった。しかし、古代人の作品のように時代から切り離して読んでみると、その作家の小説が真に読むに値するかがわかる。龍、エイミス、然り。