村上龍
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三宅香帆 / X
最近よく村上龍について考えている。たしかオードリーの若林さんは、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』の「大きな鳥」を新自由主義の象徴として例に出すんだけど、ロスジェネ世代にとっての村上龍という存在は何なんだろう、と思う時がたまにある。マッチョイズムであり、ホモソーシャルであり。
W村上ってたしかに戦後日本の男性性をめぐる表裏なんだよなーーー。ホモソーシャル=鼠から離れて性愛対幻想に向かった村上春樹と、むしろホモソーシャルから愛と幻想のファシズムをやろうと共同幻想の革命を追求した村上龍と。団塊世代の学生運動をどう総括するか、という話なのかもしれない。
川本直 / X
川本直.icon 村上龍、再評価はなされるべきでしょうね。あれほど才能に溢れた小説家もいない。『限りなく透明に近いブルー』、『海の向こうで戦争が始まる』、『コインロッカー・ベイビーズ』。この三作を読むと一作一作で急速に成長して技巧が高まり、恐るべき早さで頂点に達してしまったのがわかる。しかし……
それからの長い長い頽唐期と言える時期の小説も、一見俗悪な主題や雑な語り口を用いたように見える作品も良いものはたくさんある。『愛と幻想のファシズム』、『コックサッカーブルース』、『昭和歌謡大全集』……。村上龍の困ったところは天性の小説家でどんなくだらない小説でも面白いことにある。
『コインロッカー・ベイビーズ』は紛れもなく傑作で堂々たる一流の仕事だが、これはアイロニーではなく心からの賛辞として言うのだけども、村上龍総体は「何を撮っても面白い最高のB級映画監督」のようなところがある。「なんて馬鹿馬鹿しい」と思う作品まで小説を読む快楽に溢れていて困ってしまう。
村上龍が再び評価されるには、この徹底して時代と寝た小説家を時代から切り離す作業と時間こそがむしろ必要で、龍の著作を偶然手に取った未来の読者が、「同時代性は感じないし、価値観も理解に値しないし、共感も全く出来ないが、小説としては面白い」と苦笑しながら思う時が来るし、そう読めばいい。
そんなことを村上龍について、マーティン・エイミスの『関心領域』を読んでいたら思った。エイミスは龍よりずっとアイロニカルだがやはり同時代的に読まれてしまった。しかし、古代人の作品のように時代から切り離して読んでみると、その作家の小説が真に読むに値するかがわかる。龍、エイミス、然り。