朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれ渡る瀬々の網代木
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小式部内侍への元祖テクスチュアルハラスメントで知られる藤原定頼(権中納言定頼)。才能ある女性の歌を「ママの代作なんじゃないのォ?」などと疑うクソクズ、マンスプ野郎に、まともな歌、いい和歌なんか詠めるはずがないのはわかりきったことだが、その歌がどんなものかまずはお手並み拝見、とこちらも上から目線で接していく。 「朝ぼらけ」は夜明け。網代木は川魚を取るために仕掛けられた「網代」という罠があり、その罠のために設置された杭のこと。「夜明け頃、宇治の川の霧が晴れてきて、川の瀬のあちこちに網代木があらわれてきた」といった意。
朝ぼらけ、つまり夜から朝に移行することで見えてくるのが川霧。そして今度はその川の霧が晴れてくるという、自然、天地(あめつち)が用意した「場内照明」と「緞帳」という壮大な舞台装置、その奥から出てきた「本劇」の主役がなんと.....杭ッ!!
ここでの視覚効果、眼前に現れるものの切り替わりは、それがそのまま時間経過の表現にもなっているのだが、意外な主役「杭登場」という一瞬。その一瞬に至るまでの長い時間の広がりは、実は「見えたもの」の範囲に止まらない。「杭」とは何か。要するにこれは「人の営み」、「生活」である。Let There Be Light。朝ぼらけの光あれ。そこから川という自然が生まれ、そしてその川によって生かされる人々の暮らしがある。今、自分の眼前に見える杭から、天地創造、世界の始源まで見せてしまうのがこの歌なのである。
「あ」さぼらけ、「う」ぢ、た「え」だ「え」、「あ」らはれ、「あ」じろぎと、母音をふんだんに取り入れ、あちこちにちりばめる。「たえだえ」「せぜ」とeの音で繰り返しを重ねる。そして「うぢ」と「あじ」ろぎで踏むことで「宇治の網代木」という主役を音でも強く印象づける。これはやはり「うぢ」の「あじ」ろぎだからおもしろいのである。
技巧に技巧を重ねた一首ではあるけれど、でも、この人は本当に真摯に丁寧に。世界を眺めているのだ。そして眼前に現れた世界とその感動をまっすぐ描いている。ストレートな描写だから、その技巧にも嫌らしさや鼻につく感じが微塵もない。くっ! み、認めてやるよォーッ!!チクショオォ!!! moriteppei.icon 20240112