星野源
https://gyazo.com/3d62fc090d8565064c26000c4991db19
moriteppei.icon自分は「商品としての星野源」がとても嫌いだし恐怖を感じてるし「星野源個人」を追い詰めるのではないか?と考えている。これについてはしっかり考えたいのだが、文章にするまで整理できてないし、星野源に関する情報を熱心に追えているわけではないので、ここに各所のメモを集積だけしておく。
柴那典.icon星野源の広告に対して、苦言を呈したり、物申したくなったりしたみなさん。よかったら、どうか、このインタビューで彼が発した「ずっと地獄にいるような感覚」についての話を読んでみてください。 https://gyazo.com/c7ea850e568dc072f741929a1c5042ab
https://gyazo.com/f2b33dc87bc34dbb0da7f3cf2e4548f9
moriteppei.iconポップスターとオーディエンスが「どこにも居場所がない孤独」「全員から攻撃される地獄」で結ばれる構造自体が資本主義の中である種とびきりの「商品」になる矛盾。この「商品」により、私の居場所のなさ、孤独、地獄がポップスターの心の扉を開ける鍵になる。 moriteppei.icon自分はこの構造自体が非常に不健康だと思ってるんですよ。
「世の中に居る全員から『死ね』って言われている感じ」というのは「辛い.....」と思うものの、「こっちは何もしてない」って本気で思ってるとしたらおかしくて、何かしたから反応があるわけで。
https://gyazo.com/9bf9970c77c5265e4bfda12ea8c1b307
あんまり星野源個人を誹謗中傷する人とかファンを誹謗中傷する人とかもいないと思ってる。単純に批判はまともでも総量がネットではおかしくなるんだと思う。
で、源くんが今殺されてる!!と思ったファンが「源くん助けなきゃ!」であちこち油注いでる状態で、もしあるとすればそれこそが星野源の「地獄」なんだけど、物事を抽象化したり距離を取って考察することのできないファンはそれがわからずますます地獄に「源くん」を追い込むと。
ぼくが気になるのはなんか星野源自身がどうもこの構図を実は欲してる感じがあるってこと。
だって今回のもそうだし、ウチで踊ろうの時もだけど、この人くらいの影響力あって、この人くらい賢ければ「この後どうなる」が予測できるでしょ。
それに星野源からこの絶望や孤独、地獄をとったら何が残る?と。ガッキーとハッピーな売上絶好調、歌にドラマに大活躍のポップスター(もちろんお金にも困ってない、芸能人のお友達たっくさん)みたいなもんしか残らん。そうなるとオーディエンスと「つながり」なんて何もない。
「自分に見えてるのは孤独で」と言っても今のような熱狂は生まれないと思うんだよね。星野源は孤独ということになっている。それ自体が創作のエンジンだし、オーディエンスと星野源の「共通点」なんですよ。
星野源が孤独であればあるほど、それが絶望的であればあるほど、そしてそのことをインタビューなどでのみ語ることで、「源くんは誤解されている!」という状況をつくることができる。
ファンから見えてる「源くん」と世間一般が乖離していることをファンだけが知っている状態になる。
その上で「ぼくに居場所なんてない。絶対的な孤独です」「地獄。何もしてないのにみんなから嫌われる」という言葉があると
①私(ファン)だけが源くんを理解しており、味方である。
②私が今感じている孤独や絶望は源くんが見ている景色と同じだ!となる。
この構図を作り出しているからこそ、これだけのどメジャーにも拘らず、マイノリティ性を打ち出し熱狂的なファンを「たくさん」持ててるってわけ。
【だから】星野源は定期的に「何もしてないのに」という状況をつくりだす「何か」をしつづけなくちゃいけないし、実際にしつづけてるだろうというのが自分の見立てです。今回の件とか、むしろその一番わかりやすい例だと思う。
星野源が本当に地獄のような孤独を知っていて、そんな人たちのことを大事にしてるなら、地域の小さな掲示板を自分の新作告知で使うことの問題に気づかないわけがないし、万が一気づかなかった場合には「ごめんなさい🙇♀️」すぐして「反省」ってすればいいだけの話。
私は星野源がその可能性に思い至らないほどアホだとも「居場所がないつらさ」を知らないとも思わない。ところがファンやシバナテンみたいな評論家が「星野源さんのことみんな知らなすぎでは?」とかいってインタビュー資料とか出してくる。そしてこの炎上自体がマーケティング的な仕掛けになってしまってる。
あとそもそもの話、「どこにも居場所がない」なんて言ったら、「それガッキーにすごく失礼では……」とフツーならなると思うんですよ。ところが星野源が言うなら「源くん🥺」なわけでしょ。アホかと……。むしろサービスなのよ、ファンに対しての。「結婚はしてますけど、孤独で誰も相手がいないんです」というリップサービス。
ここまで書いてきたことは星野源の「本心」がどうかとは一切関係ない。本心は本当に辛いし本当に思ってることを口にしてるだけかもしれないが、そうではなくてこの構造自体が「大衆向け情報商材」として商品として成立してしまっていて、それこそが「地獄」であり孤独の「檻」だろうっていうこと。
私はこんな地獄や檻なんかなくても、星野源の音楽は十分な強度を持ってると信じてる。だけど上記のような話は、140字の人たちには複雑すぎるこねくりに感じられるだろうし、何より「おもしろくない」。だから源くんにはずっと地獄でいてほしいんだと思う。
ぼくはだから星野源を「源くん」と呼ぶような人たちがとても嫌いなんだよね。カートコバーンと同じようにポップスターを消費している。自分の好きか嫌いかで言動の評価を著しく変えるし、それを指摘しても認めない。星野源は聴くけれど源くんが好きなプリンスは聴かない(聞いてたらごめんなさい)。源くんをもうこれ以上地獄に閉じ込めんなよと言いたい。