描写
もっと細部を描写したいのなら、いくらでも書き連ねることができる。 店の狭さ、 スピーカーから流れてくるトニー・ベネットの歌、 レジに貼ってあるヤンキースのバンパーステッカー。 だが、 そんなものにどれほどの意味があるのか。 舞台設定や情景描写に関して言うなら、質素な一品料理と豪華な宴席料理のあいだにどれほどの違いもない。 読者が知りたいのは、ビリーがリッチー・マーティンの所在を突きとめたかどうかであり、 そのために二十四ドルの本代を払うのである。 レストランについてこれ以上くどくど書けば、話がだれて、読者をいらつかせ、本を読む楽しみをぶちこわしにする。読者が途中で本を投げだすのは、 作家が自分の描写力に酔って、もっと大事な仕事をお留守にしているからという場合が多い。書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング p.190 禅問答風の直喩は落とし穴になる危険性がある。 だが、もっと一般的なのは手垢にまみれた陳腐な直喩や暗喩だ(これもやはり読書量の少なさに起因していることが多い)。“狂ったように走った、 とか、 “夏の日のように美しい、とか、 “引っぱりだこの人気者とか、“虎のように闘った" とか...... この種の陳腐な決まり文句で私(あるいはあなた) の時間を無駄にさせないでもらいたい。 まるでおのれの無知と怠惰を公言しているようなものではないか。 そのような描写は作家としての評価を間違いなく地に落書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング p.192