戀すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
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村上天皇の御前で行われた歌合(和歌勝負みたいなもん)で披露された一首。壬生忠見は三十六歌仙の一人で歌の名人と言われている。対戦相手は同じく三十六歌仙の平兼盛。名人VS名人。どちらが勝つかで大変注目を集めた一戦だったらしい。 「てふ」は「という」。「まだき」は「はやくも」の意の副詞。したがって歌の意味は「私が恋していることが早くも知られてしまった 誰にも知られないように思いはじめてたのに」となる。
天皇に気に入られるのはどちらか」勝負
確かにこれは「引き分け」であってもおかしくない、平兼盛も壬生忠見もどちらも甲乙つけがたい歌だ。というのも歌の心がどちらも「恋を隠していると思ってたけどバレちゃってる」で同じだから。ではどこに違いがあるか。他ならぬこの歌ならではの魅力は何か。 壬生忠見の歌は「思ひそめしか」つまり「思い始めた」段階で、既に「名はまだき立ちにけり」つまり「もう名前が出てしまってる」という表現になる。「名」が「立つ」、それが本人にも認識できるほどまでになる。恋していることがバレるスピードが早い印象を受けるとともに、「なぜそんなに早く?」というその現象自体の趣にフォーカスしている観がある。
これに対し平兼盛の歌は開始時点が「忍ぶ」段階、もうだいぶじっくり思ってしまってるのかもしれない段階で、面と向かって他人が本人に「恋してるんですか?」と聞くまでになったと言っている。スピード感もあるけれど、どちらかというと、本人は隠してると思ってるが、全然隠せてないというミスマッチや、「恋してるんですか?」と聞かれるまでそのミスマッチに気づいてない本人の「浮かれちゃってる感」が強く印象に残る。また、「色に出にけり」(顔や表情に出てしまってる)と「ものや思ふと人の問う」(面と向かって自分に人が恋してるんですか?と聞いてくる)というところからは、広い宮中というより、あくまで自分の視点からの、フェイストゥフェイスの世界になっている。
百人一首においてこの歌は2つで1組と言っていいだろう。実際どちらもよくできた歌なのだが、いつの時代も罪なものは賞レース。M1グランプリじゃないけれど、優勝と準優勝でその後がすべて変わってくる。関係はないのだろうけれど、壬生忠見はこの歌合の後に拒食症になって死んでしまったという伝説も......。moriteppei.icon240305