忍ぶれど色に出にけり我が戀はものや思ふと人の問うまで
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解説泣かせというか、解説するまでもないくらい自明な、そういう意味ではどっから読み解けばいいのかわかんなくなるような、それくらいシンプルな歌だ。翻訳、要る? 一応訳すと「出さないように出さないようにと耐えていたけれど顔に出てしまっていた......私の恋は「恋してるんですか?」と人から聞かれるほどまでになっていた」。解説なんて野暮なことはせず、よかったね。ごちそうさま。ただそれだけ言って立ち去りたくなる。
一部倒置法を使ってはいるが、基本的には直球どストレート。多くの人に心当たりのある、それゆえよくわかる状況、心情をシンプルにそのまま詠んだわかりやすい歌だが、平兼盛。これで三十六歌仙である。え?こんな直球みたいなんで三十六歌仙に入れるの?三十六歌仙、ひょっとして層薄い?などと思ってしまうが、技巧も凝らせる人の直球勝負は強い。 百人一首に限らず、言語表現はそう書いてあったからと言って、事実そうだと必ずしも信じる必要はない。「空気読めます」と言ってる人が全然空気読めてないなんてことだってある。「〜だ」とある人が言ったということが表しているのは「本人は〜と信じてる」ということだけでしかない。何が言いたいかというと、「お前、本当に隠してたんか、忍んでいたのか?」だ。 三十一文字しかないから冗長に説明できないという制限はあるものの、それにしたって「忍ぶれど」から「色に出にけり」へのスピードの速さよ。まるで恋してると早く知られたくてたまらないかのようだ。
それに平安時代について詳しくない自分がこんなことを言うのもあれだが、百人一首を見るかぎり、平安時代の貴族、武士。果ては僧侶にいたるまで、それが仕事だったんじゃないかってくらい、みんな恋してばっかりだ。「恋でもしてる?」と聞かれるほどまでに顔に出ちゃってたかーっ!って、そんなもん、ただの挨拶くらいのもんだろう。
「あはは、ひょっとして恋でもされてはるんですか?」
「なんでわかったのですか!」
って、単なる挨拶、ただの鎌かけなのに、すぐに「バレてしまったかー」とは、その本音はというと「早く知られたい」というようなもので、要するにちっとも忍んでなんかいないのではないか。そしてこの「隠していたい」と「知られたい」の同居こそが恋なのだ。それをとても上手く過不足なくつかんでいるのがこの一首だったりする。
調べてみたらこの歌、なんと和歌の天皇御前試合で詠まれたものらしい。相手は同じく名人にて三十六歌仙の壬生忠見。さて試合の結果は......。To Be Continued。moriteppei.icon240304