弁証法
樹木がたんなる樹木でなく、ある別のものの証しとして、マナのやどり場所として語られる場合、言語はある矛盾を表現している。すなわち、何かがそれ自身でありながら同時にそれ自身とは別のものであり、同一のものでありながら同一のものではない、という矛盾が語られている。神的なものを介して言語はたんなる同語反復から言語になる。概念というものは、とかくその言葉の下に把握されたものの徴表の統一として規定されがちであるが、むしろ当初から弁証法的思考の産物であった。 つまり弁証法的思考においては、どんなものもいつもただ、それだけではないものになることによって、それであるところのものとなるのである。これが概念と事態とを分離して客観として規定するやり方、つまりホメーロスの叙事詩のうちにすでに広くひろまり、近代の実証科学のうちで転化をとげる客観化規定の原形態であった。啓蒙の弁証法 哲学的断想pp.42-3