市民ケーン
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アメリカのミリオネアにして新聞王のケーン。彼の最後の言葉が「ROSEBUD」(バラのつぼみ)だった。バラのつぼみとは何のことなのか。その真相を明らかにするため、生前ケーンと交流のあった人たちを記者が訪ね歩く......というストーリー。
効率的かつ洗練された描写は現代の作品ともまったく見劣りしないというか、だからこそ「現代の映画となんか似たような感じ」、つまりフォーマットにも感じられてしまう。それは「わかりやすい」「おもしろい」でもあるのだけど、昔の作品だからこその「わからない」も期待する自分には「いい映画」くらいの感想しか正直なかった。ケチのつけどころも特にないけれど。たとえば、観たことないけれど、マーク・ザッカーバーグを描いた『ソーシャル・ネットワーク』なんかも、当時は新聞王、今はシリコンバレーのソーシャルメディア王という違いはあれど、なんか似てくるのではないか。 ケーンは一体どんな人物だったのか。何がしたかったのか。でも、それが観ていてもよくわからないというか、その都度、なにかを追い求めてる感じがするけれど、それが結構コロコロ変わってる。最初は労働者の味方になるんだなんて言っていたが、途中からそんな話、ちっとも出ないし。ケーンは見返りばかりを期待する、愛情を欲していたといった語りが繰り返されるが、それもそうなのか?という感じ。誰にも「バラのつぼみ」の意味はわからないが、ラストシーン、ゴミとして焼却炉にくべられた、子ども時代にケーンが遊んでいたソリに「ROSEBUD」と刻印されているのが映されて映画は終わる。多くのものを得て、失ったケーンが最後に残したメッセージが子ども時代の思い出だったというシーンで、感動的なのだが、自分はむしろケーンの「何を追ってるんだかわかんない」「その都度追ってるものが変わるし一貫していない」ところがいかにも人生だと感じいった。