差別が意識の問題にされる
清水: どうしても 「差別」 というかたちでは議論を立てたくない。これはどこから来るのでしょうね。
ハン: 基本的に「差別」という言葉を使いたがらないですよね。たとえば新聞の見出しでも、 「差別的」、つまり 「的」がつく。明らかに差別だろうと思われることでもそう。 もちろん、そこはケースバイケースだったりしますけど、基本的には使いたがらない。 差別ということ自体がすごくタブー視されていて、 「してはいけないからこそ、していないことにしたい」 みたいな空気がある。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 11ページ
ハン: この背景として、日本にも存在してきた在日コリアンをはじめとした民族差別が 「人種差別」 として認識されていないということがあるように思います。 でもそれ以上に、とくに外向けには「ないことにしたい」 という強い意思のようなものがあるのではないか。 たとえば日本政府は二〇一七年、条約加盟国に対して提出が義務づけられている報告書に、「日本には法律をもって禁止しなくてはならないほど深刻な人種差別は存在しない」と明記していますが、実はこれが、 基本的な認識でありスタンスなんだろうと思っています。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 11ページ
清水: でも日本の場合、 最初から 「問題はない」ということになっている。 日本の一九八〇年代の同性愛者の運動で特徴的だと思うのは、 「日本にもホモフォビア(同性愛嫌悪)がある」という主張から始まるところです。 英語圏では「同性愛者への差別なり嫌悪なりが社会にはある」という前提は共有されていて、そこから運動が始まっている。 差別があるんです、 嫌悪があるんですということ自体は、そこは問題にならないんですよね。 けれども日本の場合、「日本では同性愛者への差別や嫌悪はないと言われているけど、 そんなことはない、 日本にもあります」ということを一九八〇年代の運動が頑張って言っていかないといけなかった。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 13ページ
清水:「差別をしちゃいけません」 を道徳の問題、あるいは意識の問題にして終わらせてしまえる状況が、 作り出されてきた。制度の問題として議論させない教え方をしてきている。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 15ページ