寄席
特定の噺家目当てではなく、「ふらっと寄席に入ってこられるお客さん」 は、 間違いなく爆笑してやろうなどと勢い込んではいない。 その点、寄席は確かに 「ニュートラル」 な場所だと言える。 が、 だとすると噺家は噺家で、寄席の客相手に意地でも笑わせてやろうなどと力むわけにはいかない。 ときに、その気負い方自体が鬱陶しく見えて客を逃しかねないのである。 つまり、寄席には、客と演者との間の適切な 〈距離=諦め〉が必要だということだ。 反戦後論 浜崎洋介 • 258ページ
僕が舞台のほうが好きなのは、そのあたりにも理由があります。 テレビは「目に入るもの」 ですが、劇場はお客さんが自ら選んで 「見に来るもの」です。 テレビは、全国津々浦々で大勢の目に触れているだけに制限が多い。それに比べて、 基本的に 「お金を払って見に来ている人たち」 しかいない劇場のほうが自由度は高いのかもしれません。 先ほどいったように、テレビで漫才をやるときは、台本もしくは動画の提出を求められます。ネタで使われている表現をすみずみまでチェックされて、 「これはいじめを誘発する表現なのでNG」 「子どもが見ている時間帯なのでNG」 など、 指摘されたところは直さなくちゃいけません。答え合わせ 石田明157ページ
一方、劇場はどうかというと、舞台に立っているときの肌感覚として、 お客さんたちの間で 「ありなしの価値「観」はあまり変わっていないように思えます。 たとえば障がいのある人を笑うネタは今も昔もウケない。 ハゲネタは、ハゲの扱い方やネタ運びが上手ければウケる。答え合わせ 石田明158ページ