学習
今井むつみさんの『学びとは何か――〈探究人〉になるために』(岩波書店刊)では、私たちがどのようにして知識を獲得していくかについての面白いモデルが紹介されています。一般的に、何かを学ぶ・知識を得るというと、すでにある知識のブロックに新しい知識を追加していく印象があるのではないでしょうか。そのようなモデルに、著者は「ドネル・ケバブモデル」というおいしそうな名前を付けました。ペタペタと一枚一枚肉を貼り付けていくようなイメージです。しかし、そうしたモデルは、生きた知識のモデルとしてはふさわしくないと著者は言います。単なる追加ではなく、むしろ知識のネットワークが再編していくイメージが近しいというのです。たとえば、漠然と赤色と呼んでいたものが、「オレンジ」という言葉を知ることで、これまでとは違う呼び方をされるようになります。その際、単にオレンジという新しい色の名前を知るだけでなく、これまで赤色と呼んでいた対象に変化が生じるのです。言い換えれば、新しく知識を得ることで、既存の知識の中身が変わってしまうのです。Scrapbox情報整理術 倉下忠憲 (Japanese Edition) (p.82). Kindle 版. つまり、知識は単にネットワークを形成しているだけでなく、その組み合わせ方が変わるものなのです。その再編は、当人が学び続けてる限り、途切れることはありません。いつでも変化する可能性を秘めています。この点が、階層構造において知識を管理することの難しさを生みます。Scrapbox情報整理術 倉下忠憲 (Japanese Edition) (p.83). Kindle 版. まず認知的変化という言葉である。 これはいわゆる 「学習」 ということではないかと思う読者もいらっしゃると思う。確かにそう言ってもよいのだが、 あえて避けている。 なぜ学習と言わないのかというと、その言葉には学校教育風の固定した、 視野の狭い図式が含まれてしまうからである。 先生がいて、 誰かが考えた正解を教えられ、それを学ぶという、 そういう図式である (第6章でこれについて詳しく論じる)。しかし人は学校教育風の学習によってのみ変化するわけではない。 発達という驚くべき変化は、そういう図式にはまったくのらない。 またひらめきというのも人を大きく変化させるのだが、 それはふつうは学習とは呼ばれない。 本書では、それらの多様な人の変化を統一的に扱いたいと考えている。そのような次第で学習ではなく、 人の変化全般を意味する認知的変化という言葉を用いた。私たちはどう学んでいるのか ――創発から見る認知の変化 鈴木宏昭 • 7ページ