変えようとするほど変わらない
あなたのゴールが会話のパートナーの考えを変えるきっかけになることだとしよう。 それを達成するために、「ディベート・モード」に入り、事実や証拠、そして慎重な議論を突き付けるつもりもきっとあるだろう。だが、会話のパートナーが抱いている考えをやめさせようとして説得してしまうと、 相手はかえってその考えにますます執着することになる可能性が高い。 事実を突き付けてしまうと、それに抗って自分の意見に固執するための理由を与えてしまうことになる。そうなれば、 あなたが持ち出した事実を無視し、 自分の立場を強めてくれるような事実を都合よく選んで議論するようになってしまうだろう。話が通じない相手と話をする方法 ピーター・ボゴシアン ジェームズ・リンゼイ ・ 位置2701
ただ、なんとなく思いはじめたのは、一冊の本を一度読んだだけで「新しい自分」になってしまうことはないし、仮にそんなことが起きればむしろ危険なんじゃないかということだ。自己啓発書を読んでいた頃、自分が期待していたのはまさにそういう体験だったのだが、二時間ほどで一冊の本を読んで、それまでとはまったく別の自分になってしまうとすれば、それは洗脳と呼ばれるようなものだろう。変わらないためにこそ「自分」はあるんじゃないのか。即効性を求めることは近道のようで遠回りになるのではないか。聖書のような本だって、日常的に繰り返し読まれることで少しずつ人間を変えているように思う。本を読んで翌日に変わろうと期待するのは、ジムに行った翌日にクマ殺しをしたいと望むようなものなのではないか。人は2000連休を与えられるとどうなるのか?上田啓太pp.31
この1000日間で自分は変わったか? / 変わった気はするが、そうした問題を気にしなくなったと表現したほうが近い。変わらなくては、という切迫感が薄れた。自分というものに圧迫される感覚が減った。/ 自分を変えようという発想そのものに間違いがあったように思う。変わりたいと思うほどに変われない。こんな自分はもう嫌だと強く思うほど、きのうと同じ自分が維持されてしまう。そんなジレンマがあったのだが、じつは、これは当然のことで、自分を変えたいと言うとき、その人間はひたすらに自分のことを考え続けている。自分はこんな人間だ。自分はこんな性格だ。自分にはこんな過去がある。そうして自分を踏み固めるように確定させrた上で、そんな自分を変えたいと最後に考えている。 / それは、自分に強烈に感情移入しながら同時に自分を殺そうとすることで、そもそも矛盾した発想だったんじゃないか。人は2000連休を与えられるとどうなるのか? 上田啓太pp.82,3