原罪系
実は、個人化がまずいというのは、マジョリティ側の「良心的」な反応にも当てはまることがあると思っていて。私は「原罪系」 って呼んでいるんですけど、 「自分はマジョリティで、 特権を享受してきました、ごめんなさい」みたいな発想から始まるというか。 一見すると悪いことではなさそうなのですが、 でもそのパターンの場合、自分自身の原罪 (originalsin) をはらすことが、ポイントというか優先事項になりかねない。 「男でごめんなさい」とか「異性愛者でごめんなさい」 とか。でもマイノリティ側としては別に「ごめんなさい」 と言ってほしいわけじゃないし、 個人に謝罪されても意味がない。「いまこの構造があるけれども、 どうしましょうか」 という方向で話を進めたいのに、個人的な 「ごめんなさい」 「申し訳ない」 に付き合わされる。 そのたびに、周りにいる人たちは 「あなたのせいじゃないですよ」みたいに言わなくちゃいけない、 そうやっていわば 「アライ(ally)」をつくっていかなくちゃいけないような感じになるし、そこで不要なケアを負担することになる。清水晶子,ハン・トンヒョン,飯野由里子. ポリティカル・コレクトネスからどこへ 139ページ