何も知らないフリをして話を聞き出す
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確かにその話を聞くのに/聞くためには事前に一定の勉強、調査をしておく必要がある。その点については異論はない。また、同じこと、最低限のことを何度も当事者に聞くのはそれ自体が構造的な暴力でありうる。萱野茂は自分は壊れたテープレコーダーだと言っていたことがある。 が、事前に調べてあっても「知らないフリをしてインタビューしなければならないときがある。「知っている」からとこちらがその前提で話してしまうと、インタビュイーとの理解に誤差があることに気づかなかったり(あいまい共感は誤解のもと)、何も知らない読者を置いてきぼりにした記事になってしまったりする。それに同じ知識でも「この人から聞きたい」がある。 実際、その結果、このインタビュアーは高井ゆと里から高井自身の言葉で3種類のヘイト言説に関する説明を聞き出すことに成功している。もちろん何度も同じようなレベルの低い話を説明させることは高井に大きな負担を課すことになる。高井一人にそうした負担が集中したり、そもそも当事者に知的な負担がかかること自体がおかしいのだが、それがおかしいから是正するための記事を書くために取材をしている。 社会部記者って、無知を演じなきゃいけない場面がある。「これを聞くのは失礼だよね」という常識を取っ払って、「社会部記者」という法被を着て取材しなきゃいけない。振る舞いが可視化され、批判されるのは当然。ギリギリ正当化されるとすれば、記事のクオリティがそれだけ高い必要があるが、厳しい。 でぃかまい: / X 2700八十島の統合失調症エピソードを聞く千原ジュニアもそう。八十島の話は過去に聞いたことあるだろうし、既に知ってるだろうけれど「知らない」フリしないと相手も楽しく話せない。また知らない人を演じることで「視聴者の引っ掛かり」にいち早く気づいて補足の質問をすることができる。実際、千原ジュニアは「それ、子どもは何歳?」など、適切なタイミングで最小限の質問を投げかけていた。 もちろん知らないフリをするためにも事前にした調べをしておく必要がある。何も調べずにぶっつけ本番は言語道断。