人生の意味
なぜならおれにはわかったんだ、今やっとわかった、少しずつわかりかけてる――もしも誰かが最後の最後に壊れてしまって、ひどいことを言ったりやったり、他人の世話に、それもすごいレベルで世話にならなきゃならなくなったとして、それがなんだ? なんぼのものだ? 奇妙なことを言ったり、やったり、不気味で醜い姿になることの、なにが悪い? 糞が脚をつたって流れて、なにが悪い? 家族に抱きかかえられ、向きを変えられ、食べさせてもらい、下の世話をしてもらうことのなにが悪い、逆だったらおれは喜んで同じことをするのに? おれはずっと怖かったんだ、抱きかかえられたり向きを変えられたり食べさせてもらったり下の世話をされたりすることで自分の尊厳が失われることが、今だってまだ怖い、それでもおれにはわかったんだ、そこには同時にたくさんの――たくさんの良いことのしずく、そうおれには思えた――何滴もの幸せな、良い絆のしずくがきっとこの先にはあって、そしてその絆のしずくは――今までも、これからも――おれが勝手に距離できるものじゃないんだ。
拒否。
ほら。おれにもできることがあるじゃないか。この子を元気にしてやれたじゃないか? おれが言ったたった一言で? だからだよ。だから生きる意味がある。そうじゃないか? 生きてなかったら、誰のことも勇気づけられないじゃないか? 死んじまったら、なに一つできないじゃないか?( ジョージ・ソーンダーズ 十二月の十日p.281)