ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
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碇シンジが渚カヲルに言った一言「カヲルくんが何を言ってるのかわからないよ!」(1:25:00)が、まんま視聴した感想って感じ。とにかく始終専門用語とよくわからないストーリーが繰り広げられ、初見さんは遠慮なく置いてけぼり。というか、これ、わかってみても意味がわかんないだろう。その「わかんない」がポイントだったりする。 というのも、カヲルが語るあれこれ、リリンがどうたらリリスがどうたらアダムのうつわだ、二本の槍だ、聞いてると新興宗教の教義にしか聞こえないからだ。
前作、シンジは綾波を助けようとした結果、世界にサードインパクトをひきおこしてしまう。サードインパクトってだから何なんだ?って話なんだけど、本当にただ「インパクトまじやべえ」くらいの意味に解釈してるし、それでいい気がする。とにかくそれは世界を完全に変えてしまったし、助けていたと思った綾波も実は助けることはできていなかったということに、コールドスリープ状態から14年後に目覚めたシンジは気づく。のだが、この冒頭からして視聴者にはまったくわけがわからない。確か前作の続きだよね???と思って観ているのだが、知りたいことがいつまで経っても全然明かされていかずもどかしい。その視聴者のもどかしい心情はシンジと同じなので、視聴者とシンジはシンクロしていくという演出が上手い。
それはいいのだが、結局、世界も綾波も救えなかったどころか、世界を大崩壊させてしまったシンジは今回は「エヴァに乗る乗らない」問題にどう対処するのか。「ぼくも乗ります!ぼくは乗らなくていいんですか、ミサトさん!!」(16:05)と言うのだが、前回「あなたの思うようにしろ」と言ったミサトさんからの返事は「あなたはもう何もしないで」。乗る乗らないどころか、シンジのシンクロ率は0%。さらにDSSチョーカーなる「エヴァに乗って暴発しそうになったら爆発する首輪」までつけられる。乗る乗らない。乗りたい乗りたくない。それ以前に「乗れない」状態になっている。
そしてシンジはNERVにさらわれ、そこで綾波とそっくり同じ格好の少女とカヲルに会う。落ち込むシンジだが、カヲルという少年と親しくなり一緒にピアノを弾いたり、星を眺めたりした後で、世界の現状を見にいく。自分のせいで崩壊した世界を見たシンジは落ち込む。
「エヴァなんかもう乗りたくない。綾波を助けてなかったんだ。エヴァに乗ったっていいことなんかなかったんだ」(1:00:54)
ほんとにな、確かになーって思いながら見ていたら、カヲルからなんやようわからんことを延々と言われ「二人で槍を抜こう」と持ちかけられる。そうすればいいのだと。シンジは訳もわからないまま、わかった、槍を抜けばいいんだね!ということでエヴァにカヲルと乗ろうとする。って、え??? 身元もよくわからん謎の少年の言うことを真に受けて、さっきまであんなに悩んでたのに?? さらに、え?爆発する首輪はどうなったの?と思ったら、これはカヲルがさっと手で外して(外れるんかい!)、自分につける(つけるんかい!)。そしてシンジはエヴァに乗り、槍を抜いて、そのせいでまた世界がめっちゃくちゃになるっていう......。
これ、要するに全体が新興宗教でしょ? エヴァやその世界観の説明がもうほんと「興味ない人には一切わからない」、知ったところで「だからなんでそーなってんだ」でしかない「教義」があり、視聴者もシンジくんと一体化してその世界観に一体化していくから話が進んでいくけれど、そんな訳のわからない話に「乗らない」視聴者からすれば、破綻の連続でしかない。
単にそうするといいよと言われたのでエヴァに乗る。ここでのシンジの決定は、アスカをやらなきゃアスカにやられるとしてもそれでも「何もしない」ことを選んだ地点、綾波を救うために今度は自ら志願してエヴァに乗り込んだヱヴァンゲリヲン新劇場版:破の地点から大きく後退している。だって単にカルトの言う通りにしてるだけなんだもん......。 それでもファンである視聴者はこれがどうだ、あれがどうなってるんだという設定について無限に語り考察を深めていくんだろうな......。そこに一切乗らない自分のような視聴者からすれば、カルトの教義についてみなで議論して遊んでるだけのようにしか思えず、「シンジくん、そりゃないよ......」と思うのだった。 エヴァに乗って助けたつもりの綾波が助かっておらずサードインパクトを引き起こしただけなのに対し、死んだと思われていたアスカが、シンジがあえてパイロットとしての操縦を拒否したことで助かっている。シンジは綾波は助けられなかったかもしれないが、アスカは助けていたの「かも」しれない。