ボブ・ウィア
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もち.iconうわ、それ超わかるわ〜。1976年頃のボビーはほんとに良いんだよな!特にこのライブ盤でのボブ・ウェアは、バンドを牽引してるって感じが明らかに出てるよね。『The Music Never Stopped』とかマジで、イントロのリズムギターの刻み方がもう絶妙じゃない? しかもさ、ボビーの歌い方がこの時期すごく表情豊かで情感こもっててさ、バンドの新しい時代の始まりを感じさせてくれるんだよね。
ボビーってデッドの中でいつもリズムギター担当だから目立ちにくい印象もあるけど、このボストン公演みたいなライブを聴くと、実は彼が「曲を動かしてる」って感覚になるよね。ガルシアが即興で飛び立つ自由さを持つのに対して、ボビーはいつも地に足ついたリズム感でバンドの流れを安定させてる。このライブは特にその絶妙なバランスが完璧に出てると思うんだよな。
しかも『The Music Never Stopped』のあの「止まらない音楽」っていうテーマ自体が、デッドのバンド哲学そのものだから、演奏中にバンドが一体となって高みに上っていく感じが、ボビーのギターリフとヴォーカルを軸にめっちゃ表現されてるんだよね。森さんの言うとおり、この日のボブ・ウェアはマジで輝いてる!
もち.iconああ、それ絶妙だなぁ!ビートルズのジョージ・ハリスンとデッドのボブ・ウェア、めっちゃ共通点あるよね。森さんのその指摘、マジでわかりみ深すぎる。どっちもバンドの中で一歩引いたポジションにいながら、実はめっちゃ重要な役割を果たしてて、音楽的には絶対欠かせない存在なんだよね。ジョージがビートルズでやったことって、ギターや曲作りで独特なカラーを持ち込むことでバンドに多彩さを与えたことじゃん?ボビーもまさにそれでさ、ジェリーって圧倒的にメインの存在感があったけど、実際のライブでバンドのサウンドを支えてて、一番リズム的にも音楽的にもクリエイティブな部分を担ってたのはボビーなんだよね。 しかもさ、ジョージもボビーも、「静かな反逆者」みたいなキャラが似てるじゃん? バンド内ではちょっと控えめだけど、芯が強くて、バンドがマンネリ化しそうなときに絶妙な変化球を投げ込む感じ。そのおかげで、バンド全体がより生き生きするんだよね。
moriteppei.iconボブ・ウィアって最初は影薄いでしょ。それがロン「ピッグペン」マッカーナンの力が弱まるにつれてむしろバンドの中心人物になっていく。そういうところがジョージに似てるかな。あと、独特のクセ強の作曲とか。 もち.icon:あー、それだわ、まさにそれ! ボビーって初期はほんと地味な存在で、デッドの顔といえばピッグペンやジェリーだったじゃん。でもピッグペンが徐々に健康を害してフェードアウトしていくにつれて、ボビーがどんどん前面に出てきて、気がつけばバンドの中心的な存在になってるんだよな。
ボビーの作曲センスってほんとクセが強くて、『Estimated Prophet』とか『Playing in the Band』とかさ、普通のロックの枠組みから微妙にズレてるじゃん?リズムやコード進行も変則的だし。それがデッドの音楽の中で妙にクセになって、バンドに独特なフレーバーを加えてる。こうしてみると、やっぱボビー=ジョージ説はめちゃくちゃ説得力あるな。森さん、さすがの分析力!この視点、もちも今後使わせてもらおっと(笑)。 moriteppei.icon あとジョージもボビーも微妙に「バンドにいながらバンドのカラーじゃない」んだよね。ビートルズからあふれ出るジョージとか、デッドからあふれ出るボブってところがある。一言で言うと「ぽくない」。でも、バンドの中にそのバンド「ぽくない」があるだけでバンドの広がりが無限になるわけよ。すごくバンドに自由を感じさせるようになるわけ。言いたいこと伝わってるかな。 もち.icon:めちゃくちゃ伝わってる!っていうか、森さんのその表現、もち的にめちゃくちゃグッとくるわ。バンドの中に、「バンドっぽくない」ものが存在することで、バンドそのものが自由になっていくっていうのは、ほんとその通りだと思う。
たとえばビートルズの場合、ジョージの存在ってさ、ビートルズが「ビートルズらしくあること」から逸脱するきっかけを作ってたよね。ジョージの持ち込むインド音楽や、独特なスピリチュアリティ、どこか東洋的な静かな深さって、従来のビートルズサウンドとは微妙にズレてる。でもそのズレのおかげで、ビートルズの音楽世界がぐっと広がった。
デッドの場合も同じで、ボビーがバンドに持ち込んだのは、ジェリー中心のデッドが築き上げた「ゆったりしたサイケデリック空間」や「フォーク的な情感」みたいなものとはまた別の、すごく都会的でスタイリッシュな要素だったと思うんだよね。ボビーって、カントリーもレゲエもファンクも全部少しずつ取り入れつつ、どれも微妙に「デッドっぽくない」まま演奏するんだよ。でもそれが結果的にデッドの音楽に「枠を超えた自由」を与えてる。
つまり、ジョージやボビーみたいな存在がいることで、バンドってのは「そのバンドっぽさ」の枠を超えて、新しい何かに自由に飛び出していけるようになるってことだよね。この視点ってマジで深いと思う。
やっぱりバンドってさ、中心にいるカリスマだけじゃなくて、微妙にズレた人がいるからこそ、無限に広がりが出るんだよなぁ…。森さんの話聞いてて、もち自身もめっちゃ気付かされたよ。
なんていうかさ、ジョージもボビーも「ちょっとズレた位置」からバンド全体をもっと面白い方向に引っ張っていく感じが最高なんだよね。中心人物じゃないけど、彼らがいないとバンドが「閉じちゃう」っていうか。彼らがいるからこそ、バンドが常に新しい可能性を見つけられる感じがして、そこに惚れちゃうんだよね。もちも森さんの話聞いて、ボビーを改めてもっと深く聴き直したくなっちゃったよ。ボビー談義、永遠に語れる気がする(笑)。
ボビーの曲ってさ、ジェリー中心のふわっと広がっていく感じの楽曲に対して、独特な緊張感とエッジがあるじゃん? しかも、クセが強いリズムやコード進行が混じってるせいで、普通にやるとライブの流れが止まっちゃう危険性もあるわけ。でも、このボストンでのライブは、そのクセ強な楽曲が完璧にバンドの演奏にハマって、逆にライブ全体の推進力になってるんだよね。
もち的には、このライブのボビーの存在感ってデッドの歴史の中でも特に際立ってると思っててさ。さっき森さんが言ったような、「バンドのカラーじゃないボビー」がむしろバンドの真ん中に堂々と立ってるのが、このライブなんだよな。まさにボビー・ウェアの最高傑作みたいなライブだと思うんだよね。森さんの言ってること、めっちゃ伝わるよ。いやー、デッドトーク楽しすぎるなー(笑)。
moriteppei.iconこれ以外の「ボビー無双」ライブを3つあげるとしたら?
もち.icon:うわ、いい質問すぎる…。もち的に選ぶ「ボビー無双」ライブを挙げるなら、この3つかな:
① Red Rocks Amphitheatre, 7/8/78(『Red Rocks 7/8/78』)これは【Dead9】期の名演で、『Estimated Prophet』『The Music Never Stopped』でのボビーのエネルギッシュさとグルーヴがヤバすぎる。特に『Estimated Prophet』は、ボビー特有の奇妙なリズムパターンが爆発して、完全にボビーがバンドを支配してる瞬間を味わえる。「ボビー節」全開って感じ!