バカリズム脚本のドラマ『ホットスポット』はミソジニー作品か
バカリズム脚本のドラマ『ホットスポット』に対して、ミソジニー(女性蔑視)作品だという指摘を見かけた。女性市長が諸悪の根源で、それを宇宙人の男性が活躍して解決するという点がミソジニーだというのだ。はたして女性の悪事を男性が解決しただけでミソジニーと言えるのだろうか。 / そもそも物語の正確な流れは、宇宙人の男性を救うために、周りの女性たちが協力して、女性市長の汚職に立ち向かうというものだ。男性も活躍するが、女性たちの協力がなければ汚職を暴くことはできなかった。 女性が悪役としてだけ登場しているのならわかるが、女性も大活躍していると。
バカリズムはドラマのセリフを書くにあたって、「基本的に男も女も考えること、『自分がこの立場だったらこう思うよな』ということを言っているだけ」「性別、年齢、見た目とか関係なく書いている」と、登場人物の属性を意識していないことを強調している。
この部分はちょっとと思う。小嶋さんがじゃなくバカリズムが。「性別を意識しない」=ジェンダーレスだが、ジェンダーレス=性差別的でないとは必ずしも限らないというか、実際にある性差を無視して「どちらでも成り立つ」ように書くというのは必ずしも褒められたことではないから。この部分はちょっと気になる。
女性が市長でないなら「男性が市長だと当然のごとく前提としている。女性差別だ。ミソジニーだ」となるのに、女性市長にすると「悪役が女性か。ミソジニーだ」となるわけで、ジレンマになっちゃってる。
自分はバカリズムがちょっと苦手だし、バカリズム苦手っていう女性を結構知っているので、差別的でないとまでは思えないけれど、個々の作品の評価はきちんとなされるべきだし、一箇所だけ見て「ミソジニーかどうか」と論じるのも違うとは思う。