トランスジェンダー入門
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これは、とりわけトランスジェンダーの人々にとって残念なことなのですが、今の社会で自分の存在を公的に認められるにあたって、自分の性別を登録されずに済む子どもはいません。私たちの社会には、その子どもが自分の気持ちを表明するようになるはるか以前から、子どもに性別を「割り当てる」慣行が存在しているのです。なお、そこで最初に子どもたちの性別を決める際には、医療と法律という、社会的に信頼されている二つの権力が大きな役割を果たします。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 (集英社新書) (p.12). Kindle 版. とはいっても、生まれたばかりの子どもは、自分がどの性別集団の一員に属しているかを理解しておらず、また、これからどのような性別の人間として生きていくのかについて、安定的な自己イメージを持っていません。つまり、乳幼児にはジェンダーアイデンティティがまだ存在していないことになります。しかし成長するにつれ、自分が男女どちらの性別で扱われているのかを子どもは理解するようになっていき、それに伴い、どのような性別の存在として生きていくのか、また自分自身がどのような性別の存在であるのかについて、自己認識を確かなものにしていきます。そうして形成されるアイデンティティが、ジェンダーアイデンティティです。ただし、ジェンダーアイデンティティをどのような年齢で、どのように獲得していくのか、あるいは獲得しないのかには、個人差があります。 トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 (集英社新書) (p.13). Kindle 版. 対してトランスジェンダーはとても数が少なく、統計調査によって少しずつ差異はありますが、人口の0・4〜0・7%くらいになります。トランスジェンダーの人のなかで実際に社会的に性別を変えて生きていく人や、戸籍上の性別を変える人となると、さらに数は少なくなります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 (集英社新書) (p.14). Kindle 版. 例えば、自身を女性でも男性でもない性別の存在として理解する人や、いかなる性別の持ち主としても自分を理解しない人、あるいは女性と男性の二つの性別のあいだを揺れ動いていると感じる人がいます。そうした人々を総称して、「ノンバイナリー(nonbinary/nonbinary)」といいます(*2)。なお日本語圏では「Xジェンダー」が似た意味で使われることがあります。ノンバイナリーの人は、先ほどのトランスジェンダーの定義を使えば、その全員がトランスジェンダーに含まれることになります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 (集英社新書) (p.16). Kindle 版. このとき、 そのように同じ差別の雨に打たれている人々が集まる傘(アンブレラ)として、「トランスジェンダー」という言葉が使われることがあります。それが、アンブレラタームとしてのトランスジェンダーです。この時、トランスジェンダーとは、割り当てられた性別に期待される姿で生きることをしない人々を幅広く包摂する言葉になります。これは現在では国連などでも採用されている用法ですが、この用法に従えば、その人のジェンダーアイデンティティーを問わず、振る舞い方や服装が(狭く期待される)典型的な女性・男性の枠からはみでている人たちが、広くトランスジェンダーと呼ばれることになります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.20 そうして、同じ差別を経験する事は、同時に、同じ差別に対抗する政治主体としての「トランスジェンダー」を生み出しもします。個人のアイデンティティーよりも、社会からの扱われ方から共通性が生まれ、政治的アイデンティティーとしてのトランスジェンダーが作られていくということです。歴史的にも転送した政治主体はさまざまなかたちで存在してきました。これが、アンブレラタームとしてのトランスジェンダーです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.20 「身体の声」という言葉を聞くと、すぐに外性器の形や性染色体のペアリングを思い浮かべる人は少なくありません。しかし、実際に私たちの社会で重要性を持っている「身体の性的特徴」は、ここに列挙したような雑多なものであり、それらの複合的な組み合わせに基づいて、私たちは他人の性別についての情報を取得したり、あるいは誤って取得したりしています。これが、「身体の性」という言葉を使うことの一つ目の弊害です。その言葉は、まるで身体の性的特徴が、身体のごく一部に局在しているかのような、現実生活とは乖離した印象を与えてしまうのです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.23 「身体の性」という言葉を使うことの二つ目の弊害は、それがあたかも変更不可能であるかのような印象を与えてしまうからです。しかし実際には、少なくないトランスジェンダーの人々が自分の身体を様々な仕方で変えていくことによって、「身体の性」そのものを改変しています。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.23 最初に出やすい変化としては、性欲が高まったり、陰核(クリトリス)の肥大を感じたりします。数カ月以内に生理が止まる人が多いようですが、子宮を摘出しない限りは生理が復活する可能性もあります。テストステロンを投与すると声も低くなり、変声期を迎えます。とはいえ、シス男性の思春期と同様に、声変わりが落ち着くまで数年ほどかかることもあります。喉ぼとけが少し目立つようになり、手首には血管も浮きでてきます。テストステロン投与から1年目はとりわけ変化が著しく、 食欲が増加したり、肌荒れがひどくなったりすることもよくあります。体内のホルモンバランスが安定しないあいだは、メンタルの調子が悪化することもあります。体毛は増加しやすい一方で、頭髪が薄くなるかもしれません。体臭も変わります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.45 主には第二次性徴を迎えた後のトランスジェンダーが受けることのある医学的措置について解説してきましたが、子どもの第二次性徴そのものを遅らせる措置も、時代的にはかなり前から可能です。そうした医学的措置を、総称して「思春期ブロッカー」と呼びます。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.49 ときに、このような「分散」が完全になくなり、「収束」が完成することもあります。トランスジェンダーであるという事実を誰にも知られることなく、もっぱら移行後の性別の人間として生きる状態、つまり、オセロの色を白から黒へ全てひっくり返した状態です。そうした状況にある人のことを「埋没している」と言います。これに対して、トランスの人が移行後の性別として認識されることはしばしば「パスする」と呼ばれます。「パス」とは、望生別として承認され、難なくその場を通過できる状態を意味します。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.54 それもそのはず、ある日本のデータによれば、トランスジェンダーの知り合いがいる割合は、9人に1人に過ぎません。(ちなみにこの数字は、英国の調査だと5人に1人程度です)。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.59 実際のところ、2017年に英国の慈善団体ストーンウォールが871人のトランスとノンバイナリーを対象に実施した調査では、7人に1人(14%)が家族の誰にも自分のジェンダーアイデンティティーを開示していませんでした。ノンバイナリーに限ると、この数字は24%まで上昇します。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.61 先の調査で、自分のことをトランスだと知っている家族の全員からサポートを得られていると回答したトランスの割合は、わずか4分の1 (26%)でした。これが意味するのは、4人中3人には、自分のことをトランスだと知っている敵対的な家族がいるということです。 ここまで読まれた方には想像がつくでしょうが、家庭内暴力を受ける人も非常に多いです。先の調査でも、回答者の4分の1以上に家庭内暴力の被害経験があり、関連して、およそ4人に1人が、ホームレス状態になったことがありました。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.62 日本では2015年に文部科学省が「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細やかな対応等の実施について」を教員向けにまとめ、2022年には「生徒指導提要」も性同一性障害についての記述を明確化するよう改定されました。しかし、学校の環境そのものを変えるというよりも「困難を抱えた(病気の)、子どもへの対応」という色彩が強く、用語の不明瞭さにも課題が残ります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.62 日本には、LGBTについて学校教育で指導するカリキュラムが存在しません。直近の学習指導要領2017年改訂では、「LGBT」の項目を含めるよう運動が展開されましたが、結局盛り込めませんでした。各出版社の判断により、主に保健体育の教科書でLGBTのことが扱われてはいますが、国の定める指導要領からは漏れているという状況です。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.63 トランスの子どもたちにとって、学校はいじめの危険性と隣り合わせです。英国の慈善団体ストーンウォールが10代を対象に実施した『スクールレポート』によれば、64%のトランスの子ども・若者に学校でいじめられた経験がありました。いじめを受けた人の約半数(51%)が、 いじめを直接の理由に学校を休んだことがあり、57%が学校でのいじめを恐れています。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.68 先のストーンウォール調査では、トランスの若者のうち、52%が「学校は楽しくない」と回答し、同じく52%が「学校は自分の居場所ではない」と感じていました。実際、3人に1人は自分自身の望む名前を使うことが許されず、58%は快適ではないトイレの使用を強制されています。後者は、トイレを我慢するためだけに水分を控えたり、排泄を我慢したりする子どもが多くいることを意味します。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.69 あるケースでは、採用試験の際に行われた「性格診断テスト」の性別記載欄に「男」と記入したトランス男性の行為について、嘘をついたとして入社日に「採用取消し」(解雇)が通告されました。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.72 日本で2022年に実施されたReBitの調査では、1年以内に就職・転職をしたトランスの若者の75.6%が採用選考時に困難やハラスメントを経験したとされています。信じられないかもしれませんが、これがトランスジェンダーのリアルです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 。p.72 職場でアウティングされた件では裁判事例もあります。大阪市で看護師をしていた原告は、「元男性」だとアウティングされたことで、女性更衣室を使うことを「気持ち悪い」と言われたり、体を見せるよう要求されたりしました。戸籍変更してもなお、第三者に勝手にプライベートな事情を暴かれ、貶められ、彼女が飛び降り自殺を図ったことの意味がほんの少しでもお分かりいただけますか?トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.76 日常的に男性用を使っているトランス男性、女性用を使っているトランス女性からすれば、多目的トイレの提案は、ふだん問題なく使用しているトイレから追いだされ、隔離されるように聞こえるかもしれません。もちろん、いろいろな考えを巡らせて末に、日常的に多目的、トイレだけを使っているトランスジェンダーの人もいます。繰り返しますが、状況は人それぞれなのです。。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.76 なお、雇用者側がトランスジェンダーのトイレ使用を制限したことについては、裁判事例もあります。その裁判では、経済産業省に勤めるトランス女性が原告となり、「なかなか手術を受けないんだったら、男に戻ってはどうか」という上司の発言に加えて、一部のフロアの女性用トイレの使用を雇用者側が恣意的に禁止していることが問題視されました。 地裁判決では、こうしたトイレ使用の制限は不適切とされましたが、2021年5月の東京高裁では判断が覆りました。はたして、たった1文字の戸籍の表記や、ほかの女性職員の性的不安という架空の対立利益を理由に、ふだん女性として生活しているトランス女性を一部のトイレから締めだすことに何の意味があるのでしょうか。職場での差別を、残念ながら高裁判決が後押しするかたちです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.76 ここにはパラドックスがあります。お金がないと社会に受け入れられやすい外見や身分証を手に入れられないのに、そのお金を稼ぐために、社会に受け入れられやすい外見や身分証が必要になるのです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.78 ここで重要なのは、このハラスメント・暴行の加害者は、被害者のトランス女性を「本当は女性ではないのだろう」と言い張りながら、同時にその女性をミソジニー(女性蔑視)に満ちた仕方で扱っているということです。ここには、女性差別とトランス差別が重複し、加速度的に悪化している状況があります。なお、こうした特有の差別行為や蔑視・憎悪には、トランスフェミニストであるジュリア・セラーノによって「トランスミソジニー」という名前が与えられています。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.79 業種という点では、トランスの人はシスの人よりもセックスワークに従事する人が多いことを付け加える必要があります。歴史的に、「性が逸脱している」と見なされた人々が働ける場所としてセックスワークや広義の風俗業がそのほとんど唯一の選択肢に近かった時代があり、そうしたセックスワークの現場は、ほんの1%にも満たないトランスジェンダー当事者が、自分以外のトランスジェンダーに初めて出会う場所にもなってきました。現在でも、そうしたセックスワークの現場で性別移行についての知識を教わったという人たちは存在します。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.82 労働全般の話に戻すと、労働の場で、苦しめられる人がいるのは、トランスだけの問題ではありません。日本のトランスジェンダーの人は実に4割以上が非正規雇用ですが、トランスが雇用で差別を受け、弱い立場におかれやすいのは、労働者の権利保障がなされないなど、そもそも社会全体にさまざまな問題があり、それがマイノリティであるトランス、ジェンダーに過集中しているからです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.83 日本で虹色ダイバーシティが実施した。2020年の調査によると、トランスジェンダーの人のうち直近1年間で預金残高が1万円を切った人は3割を超えていました。トランス女性に限るとその数値は45%ほどになります。同調査では、仕事をしていないシスは5.7%でしたが、トランスはその3倍以上17.3%でした。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.83 2万7000人以上のトランスジェンダーが参加した、米国の大規模なオンライン調査も見てみましょう。調査が依拠する定義によると、米国の一般人口で貧困を生きている人は12%ですが、トランスではその割合は29%に上ります。その深刻な原因は失業率の高さにあり、同調査ではトランスの失業率はシスの約3倍(15%)でした。日本と同じ傾向です。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.84 〈トランスのダメな表象〉
・ いつも殺人犯や恐るべき狂人として描かれる。例:『サイコ』『羊たちの沈黙』『ベッスリアの女王』『テラー・トレイン』
・サスペンスではいつも殺される。
・男性と見なされている人物が「女装」をするのは、ばかにしてもいい。
・男性と見なされている俳優が一時的に「女装」して演技をすることで、トランス女性は男性であるという誤ったイメージを強化する。例:『リリーのすべて』『彼らが本気で編むときは、』
・トランス女性はセックスワーカーの役ばかりで、人してのと全体像が描かれない。
・トランス男性がほかの男性に恋をすると、最後には「女」に戻る。
・「性別を変える」のは、職業面で有利だからという設定がある。
・トランスだから愛されないのだ、というメッセージばかり発する。
・有色人種とトランスが同じ作品で描かれることは滅多になく、有色人種かつトランスの人に対する人種差別も助長する。
皆さんのなかには、女性用スペースやフェミニズム(女性運動)の話題で「トランス女性の扱いをどうするか、シス女性が困っている」という情報を目にしたことのある人もいるかもしれませんが、実際は多くのデータで、女性の方が男性よりもトランスに親和的です。つまりトランスの表象に大きな影響与えている根っこの問題は、一部の男性に権力が偏っているという、シスジェンダー側の権力勾配の問題といえます。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.88 さて、メディアによる差別を考えてきた最後に、少しだけお伝えしにくいことも告げます。この本を読んでくださっている皆さんは、なぜこの本を手に取ったのでしょう?トランスジェンダーについて知りたいけれど、分かりやすくまとまった文章がない、と思っていたからではありませんか?書き手である私たちは、そのことを知っています。シスの人でも分かるような、読みやすく、整頓された文章を書けば、みんな読んでくれると信じています。だから、私たちはこの本を書きました。しかし同時に、私たちは知っています。こうしてわかりやすくまとめた文章ではない、トランスたちの雑多でカラフルで、苦痛に満ちたリアルな声は、やっぱり無視されるのだと、知っています。あなたのもとに届いている「トランスの声」には、すでに偏りがあります。この本を書く私たちは、そのことも知っておいてほしいと願っています。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.89 特にトランス女性の場合、はっきりとうつ病だと答える人が3人に1人を上回るほど、メンタルヘルスの状況が深刻です。虹色ダイバーシティによる別の調査でも20%のトランスジェンダーがうつ病であり、11.2%が適応障害・パニック障害という結果であり、いずれもシスヘテロの3倍以上の数字です。5年ほど前に行われたオーストラリアの調査でも、回答者であるトランスの人の7割以上にうつ病の診断を受けた経験がありました。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.90 米国で2015年に行われた大規模なトランスジェンダーの調査(有効回答2万7715人)でも、実にその47%に、性暴力被害を受けた経験がありました。直近12ヶ月以内でも10%が被害を受けています。2018年に実施されたオーストラリアの調査でも、回答したトランスの人の53%に性暴力被害の経験があり、しかも被害者の約7割が、そうした性暴力を複数回経験しています。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.91 トランスはシスに比べて、よく殺されています。TGEU (トランスジェンダーヨーロッパ)の調査で判明しているだけでも、2022年には327人ものトランスや多様なジェンダーの人々が殺されました。そのうち、トランス女性やフェミニンな人の割合は95%、職業がわかっている人のなかで半数がセックスワーカーでした。また、人種的な特徴が理由になったとされる被害も65%を占めました。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.92 数字ですが、日本、英国、米国、オーストラリアの調査を順に見ていきます。ジェンダークリニックを受診したトランスジェンダーに限定した日本のデータ(2010年公表)よれば、自殺念慮を経験したことのある割合は、トランス女性MtF で71.2%、トランス男性FtMで57.1%でした。 自殺未遂の経験率は、トランス女性では14.0%、トランス男性では9.1%でした。より最近の調査では、トランスの人とシスの1点合計1万4553人を対象とした日本財団自殺意識全国調査があります。この調査には、トランスジェンダーやノンバイナリー・その他の回答者が1486人含まれていました。調査結果によれば、「トランスジェンダー・ノンバイナリー・その他」の人のうち、 自殺を図ったり遺書を書くなどしたことのある人(自殺未遂・自殺準備経験あり)の割合は40.6%に上りました。なお回答者全体でも、この割合は19.1%になります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.93 他方、2017年に就学年齢のトランスの若者を対象に英国の慈善団体ストーンウォールが実施した調査によれば、衝撃的なことに92%のトランスの若者が自殺を考えたことがあり、全体の45%に自殺未遂の経験がありました。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.93 トランスジェンダーの「脱病理化」(病気扱いしないこと)の達成は、「トランスジェンダーの脱医療化」(医療との関係を絶つこと)を意味しません。トランスの人たちは固有の医療を必要とすることがあり、医療的なサポートを必要とするほかの全ての人たちと同じように、その医療を安心して受ける権利を持っているのです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.100 このガイドラインでは、冒頭で次のようなトランス医療の歴史が語られています。事の発端は、1964年、ブルーボーイ事件と呼ばれる出来事にさかのぼります。これは、当時の男娼(ブルーボーイ)の求めに応じて睾丸摘出などの措置を行っていた産婦人科医が、「正当な理由なく生殖を不能にする手術を行った」として優生保護法違反の罪に問われ、1969年に有罪判決を受けた事件のことです。 現在よりもトランス的な人々の社会認知が乏しく、正規の医療ルートもなかった時代にあって、こうした「闇医療」を施してくれる医師の存在はトランスたちの頼みの綱でした。そのなかには、動物病院の診察台で睾丸を摘出してくれる獣医さんも含まれていました。犬や猫と同じように、自分の身を獣医に委ねてまで睾丸摘出を必要としたトランスたちのニーズあったということです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.102 特に注意が必要なのは、医師のなかにある異性愛中心主義、つまりホモフォビア(同性愛嫌悪)の存在です。例えばトランス女性で「女性が好き」な同性愛者だと精神科医に打ち明けると、「それならば男性のままでヘテロセクシャルとして生きていけばいいのではないか」と言われたり、 トランス男性で「男性との間に子どもを産んだことがある」場合だと、「それならば女性として母親の役割を果たすべきで、男性として生きていくのは認められない」などと存在を否定されたりすることがあります。医師が無自覚に従っている異性愛的な規範が、「性同一性障害」であるかどうかの診断や、その後の医療処置へのアクセスという、場合によっては、トランスの命に関わる問題に悪い影響を与えているのです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.105 問題点の三つ目は、ガイドラインに沿って診断を得るために、外性器の検査を受ける必要があることです。これについては端的に虐待ですから、一刻も早くやめるべきです。本当に信じられません。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.105 結果として、ガイドラインに沿って診断を受けている人が「本物の」性同一性障害者やトランスジェンダーであるという誤った幻想が、トランスコミュニティのなかに強く生まれました。意味のない格差が作りだされてしまったのです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.106 そもそも、ガイドラインができて「正規医療」の体裁を取ってもなお、トランスに固有のニーズに応えるための医療には保険が効きません。部分的に胸オペと性別適合手術が保険適用になってはいますが、それ以前に(実のところ以後も)ホルモン治療していると混合治療となってしまい保険適用の対象から外れるため、 性別適合手術に保険が適用される機会は滅多になく、制度としては完全に破綻しています。また、そうして保険が適用されないため、トランス個人が高額の医療費を払わなければならない状況も改善されていません。しかも、「正規医療」として国内で手術ができる認定病院は数が限られており、 正規のプロセスを経て予約にこぎつけても、実際に手術ができるまで半年以上待たされることもあります。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.106 例えば2015年の米国の調査では、回答者のうち医療関係者と関わることになったトランスの人の3分の1 (33%)が、トランスジェンダーであることを理由に言葉でハラスメントを受けたり治療拒否されたりしています。約4分の1 (23%)の回答者が、トランスであることを理由に医療者から虐待されるのではという恐れを抱き、必要なヘルスケアを受けなかった経験がありました。これは、日本でも起きている現実です。2019年に実施された日本の調査では、トランス女性MtFの51.2%、トランス男性FtMの38.8%が、「体調不良でも医療機関に行くことを我慢した経験がある」と回答していました。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.109 そもそも、トランスジェンダーはHIV感染者の割合が高いことが知られており、2019年の推計ではその数字は一般人口の13倍に上ります。本書でもたびたび引用した全米の大規模調査でも、HIV陽性であるトランスの割合は1.4%と、アメリカの一般人口(0.3%)の約5倍です。この調査では、黒人のトランスジェンダー(6.7%)、特に黒人のトランス女性(19%)の有病率が顕著に高いことも明らかとなっています。 エイズ予防を目的とした研究にトランスジェンダー当事者を包摂し、トランスの人々に向けた性感染症予防のための積極的な施策を展開することは急務です。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.113 なお、話の本題からは逸れますが、日本赤十字社はいまだに「男性どうしの性的接触があった」の献血を拒否しています。これはゲイ男性やバイ男性に対するただの差別ですから、一刻も早く撤回すべきです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.115 現在、トランスの人々は「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」、通称「特例法」に定められた要件を満たすことで、戸籍上の性別を「女」から「男」へ、または「男」から「女」へ変更することができます。そして、戸籍の情報は住民票と基本的に連動しているため、パスポートや保険証など、戸籍や住民票に紐づく公的書類の全ての性別表記も、この法律に則って戸籍の表記を変えれば、同様に変更することができます。 逆に言えば、特例法の要件を全てクリアしなければ、トランスの人々は自分の「性」を公的に生きることが認められていません。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.117 性同一性障害者だって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。一 十八歳以上であること。二 現に婚姻をしていないこと。三 現に未成年の子がいないこと。四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えている事。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.118 もしかすると、読者の皆さんのなかには「ペニスのある女性が公衆浴場に入ると混乱する」と心配している人もいるかもしれません。しかし、トランス女性だって、周りの人をびっくりさせながらお風呂に入りたいとは思っていません。皆さんと同じように、ゆっくり疲れを癒やし、身体を清潔にしたいだけです。現実には、陰茎の切断を経験していないトランスの女性たちは公衆浴場の利用を単に避けるか、旅館や浴場に個々人で事情を説明し、自力で交渉をすることで、一部の時間帯だけ「貸し切り」にしてもらうなどの合理的配慮を受けています。この状況は、外観用件が撤廃されてもすぐには変わらないでしょう。 銭湯や旅館には、どのような客を受け入れるか選別する、ある程度の権限があるからです。そしてこれが重要なのですが、たかだか公衆浴場の話をわざわざ性別承認法と結びつけることには、何の合理性もありません。公的書類の性別が現実と食い違っていることに由来する社会的困難は、公衆浴場に矮小化されるような話をはるかに超えています。そのことについては、これまで何度も述べてきました。これはお風呂の話ではなく、人生の話なのです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.128 それ以降、デンマーク、アイルランド、マルタ、ノルウェー、ギリシャ、スペインなどで同様の法律が制定されています。セルフID制に対しては、性別を気軽に変えられるようにすると社会が混乱する、と指摘をする人もいます。しかしそのように「気軽に」身分証を変えたとして、本当に困るのは(社会ではなく)その人自身です。なぜなら、自分の中長期的な生活実態と合わない性別へと身分証を書き換えることは、 身分証を役立たずにすることであり、むしろ生活に支障をきたす行為だからです。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.130 繰り返しますが、トランスジェンダーの法的な性別承認は権利の問題です。そうした人権の問題を話しているときに、すぐに公衆浴場やスポーツなどの局所的な場面の話が持ちだされることに、トランスの人たちは本当にうんざりしています。それらは、それぞれ事業者や団体が個別運用の次元で対応すべきことであり、性別承認というトランスの人権の話とは次元が違います。どうか、本当に話すべきことを見失わないでください。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里p.132 というのも、基本的には誰かと婚姻している「戸主」を基準として、その「戸主」との続柄(妻、長男、三女など)を記録する「戸籍」(英語ではfamily register)制度自体が、かつての明治民法における家制度の残滓にほかならず、そもそも不必要な制度だと言えるからです。実際、行政上のほとんどのサービスは戸籍ではなく住民票に従って提供されていますし、住民票に相当する住民登録とは別に、国家がこうして「家族」を管理する体制は、世界的にも極めて例外的です。また異性愛を前提として「婚姻している夫婦のうち一人を戸主とし、未婚の家族をそこに入れる」という戸籍制度は、個人の尊重や平等権から見ても、いびつな発想と言わざるを得ません。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.135 第二に、トランスジェンダーの人には、異性愛者でない人が多いからです。米国の調査によれば、トランスジェンダー全体の異性愛者の割合はたったの15%でした。はっきりと異性愛者である人のほうがマイノリティなのです!また2万人以上のトランスの人を対象にしたヨーロッパの調査でも、トランスジェンダーの89%が自分を「非ヘテロセクシュアル (異性愛者ではない)」と回答しました。ただし注意すべき点として、これらの調査には多くのノンバイナリーが含まれています。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.137 分かりやすい例として国会議員のジェンダー差を見てみると、2022年12月現在、参議院議員に占める男性の割合は74.2% (4人に3人)、衆議院議員に至ってはなんと91.1% (10 人に九人)です。トランスジェンダー入門周司あきら高井ゆと里 p.144