セルフケア
みすぼらしい格好をしていたり、お手入れがおろそかになると自尊心も急激に低下する 調子が悪くなったり、精神的に落ち込んだりした場合には
お風呂にゆっくり入る
爪をきる
ひげを剃る
髪を切る
鼻毛を切る
など自分をきれいにするとよい
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同 23/202
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No.129/202
セルフケアというと響きがいいけれど、セルフケアって「自分でなんとかしろ」の言い換えなので結構容易に自己責任論やネオリベ価値観、マッチョイズムに吸収されかねないと思う。
最近よく「自分の機嫌は自分でとれ!」みたいなことを言う人がいるが、ブラックな労働によって損ねた「機嫌」を癒すためになけなしの賃金を使った消費をさせるような意味合いで使われている場合もあり、眉を顰めてしまう。それって骨の髄まで資本主義の「システム」に組み込まれているじゃないですか。
言いたいことはわかるんだけど、セルフケアが結局、労働者の感情上の再生産を社会ではなく「個人」に押し付ける側面があることは否定できないでしょ。元は「他者に感情をケアさせるのではなく」という前書きがあったのはわかるけれどセルフケアの称揚、容易にマッチョイズムに転化する危険あると思う。
このお話で、感情上の再生産を迫ってくる圧力をやり過ごすのもセルフケアだと思います。「セルフケア」は「自分を守るためにも自分を大事にしよう」ということなので、相手の要求にずるずると従って自分を犠牲にする行動を取ってしまわず、ちゃんと自他の境界線を引こうという話になるはずです 一方で、「他人に感情のケアを押しつけるな」をケア提供者が言う理由ですが、その押しつけをする人がしばしばうまく自分を守れていないために他者に奉仕を強いる、とみなしているからではないでしょうか。外で理不尽な要求に過剰に迎合し、家で家族に当たり散らす、のような図式になっていると
この場合の「外」を労働環境として、そこで自分を守る努力自体が「難しい」と感じる人は「セルフケアを要求されるのは過酷」のような反応になるのでしょう。しかし、自分の人権を尊重できない人はより弱者の人権を平気で侵害します。ゆえに弱い側からすれば「セルフケアしろ」は当然の要求になる