サブカル男子
コメカ 「サブカル男子」みたいに形容される在り方っていうのはつまるところ、、ある傾向を持った自意識の在り様のことだと僕は解釈してる。電気グルーヴの項でも話した、「鬱屈とした自意識過剰の『オトコノコ』がどのように生きるか」っていう問題に対する、ひとつの回答が「サブカル男子」的なライフスタイルだと思う。いつの時代も若者は「私とは何か?」っていう問題に悩むわけだけど、70年代以降、政治的な問題が後景化し消費社会的な環境が前景化してくると、政治や社会、歴史とは切断された場所で「私」を考える、という構図が一般化してしまう。そうなると、「周囲の他人と自分との差異はどこにあるのか?」という自意識レベルでばかり「私」を考えてしまうケースが増えるわけだよ。男性というジェンダーを自認した上でそういう自意識レベルにばかり執着するのが「サブカル男子」的な在り方で、しかもそこには世間のマジョリティに対する「拗ねた」感覚がある。だから「バカなヤングはとってもアクティブ それを横目で舌ウチひとつ」という歌詞を電気グルーヴが歌ったことは非常に示唆的なわけ。周囲の他人を「バカなヤング」と措定して、そいつらと自分は違うんだ! という自意識を持つわけね。ポストサブカル焼け跡派p.185, 186 なんか他の人のねっとりする嫉妬みたいなのが気持ち悪くて、これだから男の子コミュニティは入りたくない、苦手と思ってしまう。どっちのほうがその場に対して支配力をもてるかコミュニケーションゲームみたいな。そういうスタイル、すっごい「男の子」、もっというと「サブカル男子」くさいというか。
仕切られるのを男子ってすごく警戒する。警戒しつつ、自分が仕切ろうとする。誰かが何かをいうと、それより少しでもメタなコメントをしたがる。他者の発言の権威をおとしめたがる。こういう磁場で話をしても、自分の話も、そうした「他の男子との差異化ゲーム」の一手だと解釈されてしまい「そうはさせるかよ!」の反応を生む。この全体がとにかくバカらしく、正直まったく興味が持てないのだが、この態度自体がまた「男子の差異化ゲームという磁場に対するメタなツッコミ」という一手として捉えられて、男子の差異化ゲームの中で解釈されなおす.....みたいなめんどくさい自意識。 上とか下とか、そんなのばっかりで。そういう人が「男女論」とかやってたりする。やたらメタ視点からのツッコミばかりしたがるくせに、自分たちのジェンダーのコミュニケーションスタイルについてはメタ的に言及できてない。なぜできないかって、あまりにも男子を内面化しすぎちゃってるからで、これを解毒するのに一番コスパいいのが「フェミニズムに触れる」なんだけど「わかってたまるかよ」から入ってるので、全然解毒にならず、むしろ自分たちのコミュニケーションスタイルやblief system内に上手くおさめてしまうから、何にもなってない。
......みたいな思考自体が、男子の差異化ゲームの中での「おれ、お前らと違う男子やで」だと解釈されてイラっとされるので、めんどくさい。だから自分は男子コミュニティ自体から離れていきたくなっちゃうし、女性のほうが多い集団と話すほうが圧倒的に楽しい。