エイジング
ひとりの太った婦人が私に、こんにちはと言った。その短い挨拶のあいだ、私の頭にはさまざまな想いがよぎった。この婦人は、もしかすると私以上に人の顔を覚えることができず、私をべつの人ととり違えたのではないかと恐れて、私は一瞬、応えるのをためらったが、相手がいかにも自信ありげなので、今度は逆にずいぶん親しかった人ではないかと心配になり、私は大げさに愛想のいい微笑みをうかべ、そのあいだも私のまなざしは、婦人の顔立ちのなかに自分では見つけられない名前を相変わらず探し求めていた。バカロレア試験でぜんぜん自信のない受験生が、口頭試問官の顔をじっと見つめ、自分自身の記憶のなかに探したほうがいい解答がそこに見出だせるのではないかと空しい期待をいただくのにも似て、私は微笑みながら自分のまなざしを太った婦人の顔立ちに注いでいた。すると、その顔立ちはスワン夫人の顔立ちのような気がして、私の微笑みは敬意の色合いを帯び、私の優柔不断も終わりかけた。ところが、その直後、太った婦人がこう言うのが聞こえた、「わたしをママだと思っていらしたでしょ、たしかにわたし、ずいぶんママに似てきましたの。」そう言われて私にはそれがジルベルトだとわかった。> 失われた時を求めて14巻pp.153-4