わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
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「私の庵は都の東南にある。このように住んでいるのだが、そこを人は世を憂れう宇治山だと言ってるそうですね」の意。
「たつみ」は「辰巳」で昔は方角を干支で表していたから、これで東南を指すことになる。「しかぞ住む」の「しかぞ」は「然る」の「しか」なので「このように住んでる」の意なんだけど、辰巳と動物続くからここは「鹿」の意味もかかってると考えたほうがおもしろい。「みんなからすると辰巳なんだけど鹿が住んでるよ」というわけ。
要するに都=人からするとこう言われるんだけど、俺からしたらこうだよと。そういう世、人、都と自分の暮らしや感じ方とののあべこべを詠んだ歌だろう。辰巳、鹿と動物の名前をたくさん詠みこむことで、「都」の「人」との対比になっている。こうなると他にも動物が入ってないかと歌の中にいきものをどんどん探してみたくなる。「う」(兎)ぢ山とか、「い」(亥)ふなりとか、「わ」が庵と「し」かぞで「鷲」とか。まあ全部無理やりですけど。
雨が降ったら
みんな走って濡れないように隠れる
まるで死にたくない!って感じでさ
雨が降ったら
雨が降ったら
太陽が出てきたら
日陰に避難して(陽が差し込んできたら)
レモネードをすすってる(陽が差し込んできたら)
太陽が出てきたら
太陽が出てきたら
雨
別にいいじゃん
日差し
いい天気じゃん
みんなぼくを怠け者だと思ってるみたい
気にしてないし、みんながクレイジーなだけでしょ
そんなに急いでどこいくんだろ
何にもなんないのに(何にもなんない)
貴重な休日邪魔しないで
我が心ここにあらず
結局のところ
ねてるだけなんだから
人はこう言うでも俺はこうだよ全然そうは思わないなーっていう。「雨が降っても晴れても大変だなー。俺はそう思わないけど」「俺のこと怠け者っていうけどみんなが働きすぎ者だけちゃう?」っていうジョン・レノンのように、喜撰法師は「世を憂じ山なんでしょ?」に「しかぞ住んでますよ鹿が住んでます」とすっとぼける。都の人からしたら龍やヘビの怖い顔を浮かべるのだろうけど、実際は鹿のキョトンとした顔がそこにあるという顔のイメージが浮かぶのも上手い。
他方でこういう人を見ると思うのは「じゃあ、ほっときゃいいじゃん」ってことで、「都から見たら辰巳なんでしょ」「人はうぢ山言うてるんでしょ」というのは、結局「そこからどう言われているか」をちょっとは気にしてる、何言われてるか知ってる、なんなら「何言われてるか知ってますよ?でも違いますよ」と都に人に向けてメッセージを送りたいという気持ちを詠んでると言えてしまうところで、都や人との対象があるからこそ、今の暮らしの素晴らしさやおもしろさが成り立っているところだってある。
四国に住んで「まだ東京で消耗してるの?」、ThreadsやBlueskyに移行した先で「Twitterでまだ地獄にいるの?」なんて言う人、めちゃくちゃたくさんいるでしょ。この歌もそれと同じ。「俺は一抜けた」はいいけれど、そんなことを言っても存外、「庵」の「戌亥」の人たちは世を憂いてなんかなくて、楽しく一生懸命生きてるのかもしれないよ。moriteppei.icon240224