るろうに剣心(映画)
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映像やカメラ、編集はとてもよいのでは? だけど脚本にはどうしたって疑問が残る。一番気になるのは「この映画つくった人はほんっとーーーにるろうに剣心に興味あるのか?」ってこと。それくらい一番大事なところの描写が弱い。一番大事なところ、すなわち「薫と弥彦」である。 るろうに剣心の神谷薫って結構強いんだよね。ただマリオから助けられるのを待っているピーチ姫ではない。弥彦も同じく、小さくまだ未熟だとしても立派な剣士。この2人の若い「武士(もののふ)」から年長の剣心が「剣を握るものとして大切なこと」を教わる。そこがるろ剣のコアなのだが、この2人の「強さ」の描写が全然足りないんだよなー。 薫が剣心に助けられるシーンが多すぎるんだよ。その前に一個だけでも薫が本当に強いシーン入れておけば、作品の説得力は断然違ったのに......。たとえば道場をのっとろうとする悪党を一度は薫1人で撃退する。そうしたら仕返しにさらに大人数でしかもボスを連れて道場に来た。これではさすがの薫も多勢に無勢で勝ち目が......みたいな描写を入れておけばいいのにと。武井咲の高くアニメった声質もあって、薫が完全にかわいく庇護されるべき女性キャラになってしまってる。 薫の強さの描写がないから、結果作品に様々な無理をさせている。その分、薫の活躍シーンを入れなくてはならないし、入れたいから鵜堂刃衛(吉川晃司)も登場させ、「心の一方」を薫がみずからの力で破るシーンを追加させてるわけだが「あんな大して強そうでもないお姫様がなんでいきなりそんな術破れるの?」って疑問になってしまうし、破れてしまうと今度は鵜堂刃衛が弱いように見えてしまう。 実際、刃衛の術は原作でも「弱いんじゃね?」ってツッコミ入りかねないので、刃衛本人に「まさかこんな小娘にまで破られるとは」と言わせている。
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脚本的には鵜堂刃衛がそれまでの描写で相当強い敵として描いておき、その術を誰も破れないのに薫だけが破れるから「薫は剣ではそれほど強くないように見えるかもしれないが、武士の本当に大事なもの=心では相当強いのだ」という描写になってるつもりなんだろうけど、やっぱりちょっと唐突すぎる。
鵜堂刃衛編と武田観柳編とを合体させたのは先述したような事情があるからだが、その分、本筋のストーリー=武田観柳と、そこにとってつけたサブエピソード=鵜堂刃衛の2本立て映画になってしまい、「とってつけた」感じになってしまってる。 明神弥彦に至っては本当に特に何もできていない。「赤べこ」ですき焼きを食べてるシーンから「あ、お前も左利きか」と思ったくらいしか印象がない。この子、演技もイマイチだし、本当に弥彦にいいところがない。 それで結局、この作品は薫や弥彦を「女子供」扱いしてしまってるように見えてしまう。 その分、自立した力強いキャラクターとして高荷恵(蒼井優)を配役してるってことなんだろうけど、蒼井優だけ演技の熱量が全然違うので、全体で見た場合に浮いてしまってる。これは単なる推測だが、蒼井優、ガチでるろ剣が大好きなのではないか。 もう一つのファンからすると納得いかない改変は「ガトリングガン」の扱いである。原作では武田観柳がガトリングガンを出し、これを避けるために御庭番衆が犠牲になる。それによってなんとか剣心たちが勝利をおさめるという展開になっている。 https://gyazo.com/24d7e68436e189cc367860b1ae946102
......のだが、これをこのまま描写すると、いろいろ問題が出てきてしまう。ただでさえ多いのにこれ以上登場人物増やせない。ろくに個々のエピソードも掘り下げられずそれが死ぬ描写を入れても感情移入できない。ラスト血生臭すぎて後味が悪い。「結局剣心が強いと言ってもガトリングガンのほうが強いんじゃん」になってしまうなどなど。
そこでガトリングガンのシーンを武田観柳のコメディシーンに変えてしまった。原田左之助が「降参だ」と言って剣心もそれに乗っかる(背後ではコメディタッチのBGM)。油断したところを隙を見て武田観柳を斎藤一(江口洋介)がワイヤーアクションの牙突でやっつける!という展開に変更してしまったのだ。 ちなみに武田観柳は常にアイロニカルというかシチュエーションアイロニーになるキャラとして設定されている。多額のギャラを提示したのに用心棒を断る剣心に「武士は食わねど高楊枝ですかあ?」と言うシーンなど(実際には食わねどどころか剣心はすき焼きを食べている)。 ガトリングガンで御庭番衆が死なないことで、復讐に燃える四乃森蒼紫という設定がそのままでは使えなくなった。おそらく続編では別の理由で御庭番衆が死ぬことにするのだろうが。 個人的にもっと大きな改変だと思うのは実は武田観柳のキャラ造形である。映画では香川照之が竹中直人のような演技をしており(演技する人の演技)とにかくコメディタッチ、ただただカネが好きなだけの悪人として、つまり非常にスケールの小さな悪として描かれている。が、そうなると今度は「そのためだけに国中に凶悪なアヘンをばら撒くとかどういうこと?」という疑問が発生してしまうし、逆に言えば「そんな軽い悪人を倒すためだけに剣心たちはこんなに苦労してるってこと?」という疑問にも繋がってしまう。 実際には武田観柳はただのカネ好きなのではなく、最も儲かる商売=武器を売買する死の商人になろうという非常に恐ろしい野望を持ったキャラクターだったし、だからこそのガトリングガンだったわけだ。 https://gyazo.com/de97da099d64410a3ea27e03a400038c
カネという手段、方法こそ違えど、剣心たちと同じく強さを求めているキャラであり、強さを求める=最終的に人を殺していくという点では過去の剣心と実は同じだとも言えるキャラである。要するに「その先にありえたかもしれない剣心」の姿だ。
そんな武田観柳を倒すということは単にいけすかない悪人を倒すというだけではなく、「日本の未来を実は裏で剣心たちが変えていた」「世界征服を阻止した」レベルの話なのである。(だからこそそこで御庭番衆が死んだことが尊くなる)
そうしたスケールが武田観柳のコメディアレンジのせいですべて死んでしまった。結果、剣心が本作で倒したのは、よくわからんが妖刀に魅せられたせいで人を快楽で切り刻んでいる鵜堂刃衛と、アヘン密造などをしているが要は金儲けにしか興味なさそうなオマヌケ武田観柳のみとなってしまった。