そして父になる
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是枝裕和の映画はこれで三本目。素晴らしい映画だった。まず、とにかくカットとつなぎが大変上手い。たとえば福山雅治が階段を降りて行くシーン。次のシーンではエレベーターを上がってる。下がってるの次に上がってるを入れることで「時間の効率的な省略」が無理なくできている。車のドアを閉めたと思ったら次は車のドアを開けるシーン。車が左から右への後は右から左へのシーン。ちょっとしたワープ感があり、淡々とした描写のようでいてテンポがいいと感じるのはそんなところからだろおう。 福山雅治と尾野真千子の夫婦、リリー・フランキーと真木よう子。二組の夫婦の子どもが実は病院での取り違えで入れ替わっていたことが発覚。育てる子どもを「元に戻そう」とするのだが.....といった筋書きなのだが、実は医療ミスなのではなく、当時再婚や育児のストレスで追い込まれていた看護師が、福山雅治夫妻を見てそのあまりにも幸せそうな様子に反感をもち、意図的に入れ替えたことが途中で明かされる。 「そして父になる」というタイトルは、そんな複雑な事情から福山雅治が実子の父になっていくことを表してもいるし、今まで仕事に忙しく子育てにもあまり関与してこなかった血のつながらない「息子」に対し、ようやく父として動くようになったことを表してもいる。が、もう一つ別の意味もそこには込められている。
作中、福山雅治と尾野真千子の実子は、育ての親が恋しくなり家出。リリー・フランキーと真木よう子のところへ無賃乗車で戻ろうとする。連れ戻しにきた福山だったが、そこで自分も父親と別れ別居していた実の母に会いたくて家出をしたことがある、だけどすぐに親父に連れ戻されたと明かす。つまり「育ちは違ってもやることは同じ」=「血」という話だ。自分は今、家出した息子を連れ戻しにきている。それは過去に父親が自分にやったことと同じだ。そんな父親が福山は大嫌いだった。が、今、まさに自分はそんな父と同じく家出した子どもを連れ戻す。父と同じことをしてその時の父の気持ちがわかると同時に、あの時の自分と同じことをした息子の気持ちもわかる。どちらの気持ちもわかるようになり、「そして父になる」のである。
最初は一流企業に就職し、良き妻にも恵まれ、円満な家庭で何一つ負けを知らないように描写されていた福山雅治だったが、実は両親も離婚していること、決して金銭的に恵まれた家庭ではなかったこと、ピアノも練習はしたけれど途中で挫折してやめてしまったことなどが明らかにされる。この、視聴者に「この人はひどい人だ」と思わせておいて、でもそこに「人にはそれぞれ事情がある」ことが明かされる展開はまさに『怪物』と同じだ。是枝、こういう展開が好きなんだろう。最後はこれも『怪物』と同じくオープンエンディング。私は『怪物』も本作もオープンエンディングでよかったと思う。オープンエンディングなのが悪いのではなく、簡単に結論を出し、視聴者を安心させるほうが圧倒的に悪いことだってある。 作中何度も流れるのはグレン・グールドのゴールドベルク変奏曲。リリー・フランキーの演技がとてもよく、グッときてしまった。福山雅治がギターを銃に見立てて子どもにバーン!と「撃つ」シーンも感動的。思わず笑顔になり、涙が出てしまう。なんか文句つけるところあったっけ。世間は是枝が「権力」を持つおじさんだから、彼のことを嫌うのかもしれないが、映画のできは素晴らしいし、テーマにもものづくりにも誠実に向き合っている。他に何か必要なこと、あるか?