いただきますの倫理
伊勢田 日本の「いただきますの倫理」 あるいは 「供養の倫理」 とわたしが呼んでいるものは、 相手の犠牲に報い、無駄にしないという倫理です。 相手の犠牲に対して「いただきます」 という感謝なり供養なりを捧げれば、相手を犠牲にしていいという考え方が中心にあります。 これは今のままだと、 どんな犠牲も後で感謝すればいいというフリーパスを与えるタイプの議論の枠組みとして使われています。 子供に罪悪感を持たせずに肉食をさせることができるという意味で、 子どもの教育にはそれでいいのかもしれませんが、 大人が真面目に受け止めるのは問題だと思います。 西洋の倫理と比肩するものになるためにはフリーパスではいけなくて、 犠牲に感謝する、犠牲を無駄にしないということは、取りも直さず無駄な犠牲をしないことだという方向に議論を組み替えなければいけないはずです。 無駄な犠牲を要求しないとなると、 われわれは畜産という形で動物を犠牲にする必要が本当にあるのかを、この同じロジックをちょっとひっくり返すだけで問い直せるはずです。現代思想2022年6月号 特集=肉食主義を考える——ヴィーガニズム・培養肉・動物の権利…人間-動物関係を再考する/ 討議 なぜ私たちは肉を食べることについて真剣に考えなければならないのか / 伊勢田哲治 井上太一・22ページ