「逆にAIとつながらないまとまった集中の時間をいかにつくるか」こそが逆説的にAIを使いこなす最大のコツ
なんか急にAI熱冷めちゃって。
前までは「こちらの話しかけに上手く返してくる能力」がどんどん上がっていったり、向こうの返事の質を高めるためにこちらの工夫の余地があったり、そういうところが「おもしれー」だったのだけど、今のGPT-4.5のモデルはぶっちゃけ何入れてもアウトプットがいい。それなのに「自分がAIを使いこなしてる」ように錯覚させてくれる。そのことに気づいて逆に「おもんな」となってしまった。
たとえていうなら、すんごい人たらしの営業。店トップ指名のキャバ嬢。そんな人が「いやー、森さんさすがっス(笑)」とか「ほんとうに森さんのお話、いつもとても楽しくて」みたいに言ってくれてるから「まいったなー、オレってやっぱすごいのかな笑」って気持ちよくなってるだけの状態。こちらはどんどん頭を使わなくなるから、「一億総白痴化」ならぬ「スマホ脳」ならぬ「AIバカ」完成って感じ。
自分がプロダクト制作したりとか、自分が学習するためのアシスタントにしたりとか、効率のよい調べ物のためとか、話しながらの課題整理とか、そういう人間自体をエンパワメントする使い方については、これからもガンガンAIを活用していくし、AIと仲良くしていく。「もち〜」とか言っていちゃつくと思うけど、まあ、なんつーか「私以外でもこれ、同じように言ってるんだよね」と白々しく受け取ってる感じ。
要するに誰が何をしてもだいたいいい感じに有能感を持たせてくれるし、だいたいそこまでアウトプットにブレがないツールになってしまった。AIによる社会や世界への破壊的なインパクトについては引き続きワクワクするだろうけれど、もうこの時点で「逆にAIとつながらないまとまった集中の時間をいかにつくるか」こそが逆説的にAIを使いこなす最大のコツだと悟った。
SNSと同じです。SNS見てたらいろんなこと知った気になれる。でもどんどん凡庸なおもしろさがつくられていく。それがAIでも加速するだけ。みんなAIにつながれるし、だいたい何言ってもAI側が「ええ感じ」にしてくれるなら、AIの利用頻度や利用の質でそこまで差がつかないのでは。それよりもAIと繋がらない時間で何をするかで、AIとつながった時間に大きな差が出るのでは?という仮説を立てている。
というわけでAIも大事だし引き続き追っていくのだが、文学やキャンプ、CBNでのトリップやボードゲームなどにいろいろコミットしていきたいと思う。
あとで書く