問い
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質問する=たずねている=たずねられたほうに開かれているという、未決イメージを持たれがち。 だが「問う」とは特定のフレームに沿って物事を確定・決めうちしてく宣言でもある。
特定の視点から物事を見るとは「死角を持つ」ことに等しい。
そもそもその問い自体がおかしいということは多々ある。
問いを見たらまず我々が最初に問うべきは、
なぜその問いなのか。
その問いにすると得するのは誰で損するのは誰か
別の問いはありえないのか
その問いを問うている人間は誰か
問われている人間は誰か
その問いでは答えられない答えは何か
問われている場所はどこか
その問いの直前、直後に問われる問いは何か
その問いで不快になる、傷つく人は誰か
その問いに答えやすい人は誰か。答えにくい人は誰か。
どんなツールで問われているか。
どんなツールで答えることを期待されているか。
写真「あなたはどのくら寿司に行く!?」。行かないという選択肢がない。
どちらも真面目に考えられるべきだとは思うが「ここ」で「それ」を「みんな」がやることの暴力性はスルーされてしまう。