ヴィーガンズ・ハム
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全然おもしろくなかった。ほんとただのブラックジョークなんだけど、そのジョークが面白くない。どこで笑えばいいかがわからないわけじゃない。そうではなくてほんと単に「おもんない」のである。たとえば、肉屋がお店でヴィーガンをハムにして売るために、血まみれのうさぎの着ぐるみを着て、チラシを配る=ヴィーガンと同じことをするっていう皮肉なんだけど、これ、あんまりおもしろくないよね。この監督がこの作品に関してジョークにしか興味ないから、皮肉が皮層的でまったく「肉」まで達していないため、本来ブラックジョークにあるべき「単に笑いだけではない他の感動要素」がごっそり漂白されてしまっている。
黒人、ムスリム、女性、トランスジェンダー、ヴィーガン、肉屋。その全方位に対する差別偏見ばかりなのもきつい。引っかかる。私は現実に行われている差別を描写することが必ずしも悪いことだとは思わない。ヤングアダルトのような作品で登場人物がお互いに差別しあう言動が描写されてもそこには必然性があるというか、「差別という現象のおもしろさ」を拾っているから、見ることができるし、そこに作品の深みも感じる。ところが本作での差別や偏見は、ヴィーガンから襲撃された肉屋がヴィーガンでつくったハムを販売するというストーリーラインを進める構造のビルディングブロックでしかない。だから深みがない。 ヴィーカンとノンヴィーカン、そのどちらもが単にジョークを作るための素材として扱われてる。これらの構造を客観的に認識し「冷静に」監督は見ているんだという、、監督の非常に偏ったイキリが作品全体から感じられてしまう(これまたよく「勉強」してるのもわかるため)。
冒頭から肉、肉、肉を映し出す。この時点でヴィーガンはこの映画を見ることができない(この映画のために多くの殺された動物の肉が使われることに加担したくない)。そして冒頭でヴィーガンを追い出しておいた後に「さあ、みんなで笑いましょう。あ、これ、単なるブラックジョークですから。マジになんないでね?」をやっている。
私はヴィーガンとノンヴィーガンの現実の対立のほうが、もっとずっとおもしろいと思ってる。もちろん監督が撮りたかったのはブラックジョークだろうから、撮りたい笑いとは違うのだろうけれど、そうした現実のおもしろさを、単なるストーリーラインとしてではなく、もっとたくさん拾ってきて活かしてくれればよかったのに。