「反対意見も読むように心掛け」なくてもいい三つの理由
①反省できる人でなければ外部の情報とってきても反省しないので意味ない。逆に言えば、反省性の高い人は外部の情報を取らなくても反省するし、反省性のない人は反対意見を読んでも先鋭的になるだけ。 ②情報は遮断しても向こうからやってくる。そんなに意識的に自分と異なる意見を追おうとしなくても、SNSのぞいたらそれでも多いくらいいやーな情報入ってくるんだから、わざわざ反対意見を読む必要はない。
③反対意見を読む=インプレッション、アテンションを反対意見を書くようなクズに与えるだけ。ましてや見て反応する人ならなおさら。そんなことしないほうがいい。
自分は特に①の理由についてなるほどと思いつつも、最近、Xのおすすめタイムラインを見ていて「そうか、反対意見を読むのも大事だな」と反省した。よせばいいのに、暇空茜とレスバしてたベビーレモンってアカウントをのぞいてしまったり、あれこれしてたら、すっかり自分のおすすめタイムラインが汚染されてしまい、例の都知事選の石丸伸二信者や「中国人がこんなひどい」みたいな投稿、蓮舫アンチの投稿ばかりが流れてくるようになってしまったのだが、それを見ていて「同じ事象についてこれだけ異なる見方をする人がいたのか」という学びがあったからだ。 石丸はヤバい!という投稿がフォロータイムラインでは流れてくるのだが、同じ情報について、おすすめタイムラインの石丸支持者はそれを悪質な切り取りだという。石丸は出生率を高めるにはどうすればいいかという質問に対して「一夫多妻や遺伝子をいじって子どもをつくる」などと答えた!!と石丸アンチは書いていたのだが、元の動画を見ると「それはあくまでたとえ」「それくらい、もう今から出生率をあげる、人口を増やすというのは間に合わない」「だから、200年、300年という単位でソフトランディングできるようにどうするかを考えるべきだ」と言っていたのだ。少なくともこの件については、アンチのほうが悪意のある切り取りだったというわけ。元の記事をしっかり自分で読んだり見たりするのであれば、別に反対意見なんていらないかもしれないが、そうじゃない場合は、反対意見は反省するための重要な材料になることも少なくないと思った。
とはいえ、安田のいうとおり、反省性がなければ、逆にアンチの意見なんて見ても先鋭化するだけだろうし、ハンナ・アーレント(映画)の評でも述べたが、思考とは「他者の言う通りにならない」が「自分の信じたことだけを信じない」、つまり「自分の中に他者を持つ」ことであり、そうした思考、反省性こそが何より大事だということに変わりはない。 問題はその反省性ってどうやったら持てるのか、涵養できるのかなんだけど、どうやったらできるんだろうな。反省性がなければ反対意見を見ても、知らぬ間に反対意見に染まっているか、反対意見に反発して先鋭化するかになっちゃうんだろうし。