理解には積極的に関与するような努力が必要
感じたこと
読書メモをどう取るべきかの通り、あとで熟考することなく、自分の言葉で反芻することなく、ただ一直線に一気に読み進めてしまうと、せっかく読んだのに根付かず、ほとんどが失われてしまう。 本文
本当にアイデアを理解したいのであれば、それと格闘しなければなりません。
何かを読んだり、講義を聞いたり、会話で概念を耳にしただけでは不十分です。考えなければなりません。これはどこに適用でき、どこに適用できないのか?その意味するところは何か?前提は何か?ここで表現されているのは誰の見方なのか?これは何を論駁しているのか?などです。
Stephen Kosslynが注目すべきことを言っています。
第一の格言は「徹底的に考える」です。重要なアイデアは非常にシンプルです。何かについて、自分のしていることに注意を払いながら、より深く考えれば考えるほど、それを覚えている可能性が高くなるのです。
認知心理学の観点からは、この種の関与は、
a)明示的に述べられたり示されたりしていない命題を推論するため
b)新しい観察を事前知識と結びつけるために必要
というのが一般的な説明です。
ショーペンハウアーも次のように述べています。
私たちが読書をするとき、他人が私たちのために考えてくれるのです。私たちは単に彼の精神過程を繰り返しているだけなのです。...読めば読むほど、読んだものの痕跡は少なくなります。心は、何度も何度も書かれた石板のようなものです。だから、反芻することは不可能なのです。読んだものを自分のものにできるのは、反芻することによってのみなのです。あとで熟考することなく、一直線に読み進めば、読んだことは根付かず、ほとんどが失われてしまいます。実際、精神的な食物も肉体的な食物と同じで、人間が取り込むものの5分の1ほどしか同化されません。残りは蒸発、呼吸などで排出されてしまうのです。
グラント・サンダーソン(2019-11-28):
アイデアと目を合わせる必要があります。