ラウル・ハインリヒ・フランセ
1910~1920年代にかけて生命中心主義を哲学的に定義。
技術は(あらゆる人為の文化と同様)自然の諸形態に起因する同機能を持った諸力の結果とみなす。技術を自然化。
バウハウスに招聘されて以降のモホイ=ナジの思考に深く影響。
モホイ=ナジ『材料から建築へ』(バウハウス叢書、1929 年)
フランセを踏まえた生物学注約 ヴィジョンとして読解可能(ボーター)。
「人間の行為や表現はすべて生物的構造に基礎を置いたさまざまな構成要素から組み立てられている」
「材料から」8)
『生物学的』という言葉は、この本では、有機的発展を保証する生活の法則といった範囲で使っている。
この言葉の意味が理解されるなら、多くの人々が有害な行動から免れることだろう。
来る世代は、本来の生物学諸機能を茶化させるのではなく、強化するような文化を創り出してゆかねばならない」『ニュー・ヴィジョン』1938)
ラウル・ハインリヒ・フランセの「生命中心主義的認識論」
感覚によって感知された世界のみを研究可能なものとして認める。
モホイ=ナジにおける知覚と感覚を重視した理論的作品と教育論に反映。
「世界の内で機能的かつ調新的に生きる手段としてのわれわれの感覚的能力の訓練と拡張」
「すべての人間が才能を持つ」という主張。
「芸術は人間の行為のなかで最も複雑で、我々を活気付け、我々を啓発するものである。それゆえ、芸術は生物学的な要求からなされる。(….)芸術には、生物学的なものと社会的なものというふたつの顔があり、一方は個人に、他方はに向けられている。芸術は、根源的な確からしさや人類共通の問題を表現することによって、統合の感覚をもたらすことができる」『ヴィジョン・イン・モーション』77-79)
生物学的法則としての「機能性」概念
「『形態は機能に従う』という言葉(….)は、とりわけ自然発生的な現象に当てはめた場合に最も独創的なものとなる。」(「現代の理論と期におけるデザイン」 1941) /「今日、技術は代謝作用(メタボリズム) 同様に生の一部である」 (1937)
「したがって解決策は技術に反対することではなく、それを正しく理解して、それとともに存することである。最終的に目的を知っておれば、人間は技術によって解放されるのである。(…。我々が真に関心を示す値打ちのあるものは生産部態でもなく、驚異的な技術の過程でもなく、人間の健全なる生活計画であるからだ。」「材料から建築へ」18)
生物学的世界観による政治的な目標としての生体工学的なユートピアの実現
生命中心主義を右派と左派の間における一種の第3の道とみるモホイ=ナジの見方。