法雲院
法雲院
は、『御府内備考続編』によれば、日栄上人(―一七七六)が鬼形鬼子母神一体を感得し、宮川助五郎の元鮫河橋の土地七二坪を借りて庵屋を建立したのに始まる。
のちに青山権田原に移ったという。
天明七(一七八七)年に類焼して記録類は焼失してしまった。