円通院
稲荷信仰に深く関わって成立した寺院であると考えられる。
隣接地ではあるが、青山御掃除町の円通院は、もと稲荷の社地であった場所に立地し、その稲荷と結びついている点で興味深い。 青山御掃除町は、文政期の「町方書上」によれば青山大善亮の屋敷跡の一部が御掃除の三十人に一括して与えられ、元禄九(一六九六)年に武家地・町地改の際に古来の町屋を申出て以後町屋許可、町並拝領屋敷となったという(『日本歴史地名大系』)。
円通院は、東奥和尚が当所に別庵を結んで住居したことを端を発し、板倉弥治兵衛をはじめとする掃除組三十人が檀家となった(『御府内備考続編』)。
稲荷はこの寺院の鎮守とされた。名を旭飛稲荷大明神といい、『御府内備考続編』にはその由緒が次のように記されている。
この神体は、三河国嶺田郡小美村にあったものだが、家康の入国の際に御掃除の者三十人がお供として同行したときに、この神体を当地へ持参して板倉氏の敷地内に勧請していた。
その後、三河国に住んでいた尾の先が白い狐が、当院に住んでいるのを御掃除の者が見つけ、三河からこの地に移ってきたのだと理解した。
そのため、御備稲荷とも呼ぶ。
この狐は由緒を記した現在でもこのあたりに住んでおり、ときどき目撃者がいるという。
祭礼は毎年二月初午のときに行われ、湯立神楽を修行するという。
このように、円通院は、寺院でありながら、稲荷信仰にも重きが置かれていることがわかる。