パノフスキーによる意味の三層の区別
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エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky, 1892–1968)
ドイツ出身の美術史家。1930年代にナチスを逃れてアメリカに移住したあと、プリンストン高等研究所に長らく在籍して活躍した。北方ルネサンス美術研究の大家であるとともに、「イコノロジー(図像解釈学)」という美術史学の方法論の代表者でもある。ハンブルク時代のヴァールブルク研究所(ウォーバーグ研究所)、とくにヴァールブルクの弟子のフリッツ・ザクスルと深い関わりがあった。イコノロジーは、美術作品やその作家を孤立させて理解しようとするのではなく、それが作られた社会の諸前提(技術、慣習、経済、政治、価値観、美意識、etc.)の中で生まれたものとして理解しようとする方法である。そのようにとらえることで、美術作品はそれを取り巻く同時代の状況を伝える(つまり「意味」する)ものにもなる。 🐪 パノフスキーの意味の三層
文献
パノフスキー『イコノロジー研究 上』 浅野徹他訳、筑摩書房、2002年、序論
パノフスキー『視覚芸術の意味』中森義宗訳、岩崎美術社、1971年、第1章「イコノグラフィとイコノロジー」
パノフスキーの基本的な考え
絵画作品が「意味」しているもの、つまりその内容・主題を考えたとき、大まかに3つの層に区別できる。
自然的主題(primary or natural subject matter)
慣習的主題(secoundary or conventional subject matter)
内在的意味(intrinsic meaning)
日常的な所作の例
われわれは何か日常的な所作などに「意味」を見いだすことがある。
たとえば、知人が帽子を持ち上げて自分に挨拶してくるケース。
この知人のふるまいを記述・理解しようとする場合、以下の異なるレベルが区別できる。
A. 純粋な形式
「意味」以前の、知覚された純粋な形のパターン(色・線・量感)とその動きのレベル。
B. 自然的意味
B1. 事実的意味(factual meaning)
「誰である」とか「どんな行動である」といったレベル。
たとえば、〈*男性*である〉、〈知人の誰々である〉、〈帽子を持ち上げた〉など。
B2. 表出的意味(expressional meaning)
そのふるまいに感じられる心理的な「ニュアンス」や「ムード」のレベル。
たとえば、その人が〈ご機嫌である〉かどうか、ふるまいに〈親しみがある〉かどうか、など。
事実的意味と表出的意味がまとめて「自然的(natural)」なのは、どちらも特別な取り決めなしに人間が自然に理解できる意味だから。その点で自然的意味は、次の慣習的意味とは異なる。
C. 慣習的意味(conventional meaning)
何らかの特別な取り決め(慣習)のもとではじめて理解できる意味のレベル。
たとえば、当のふるまいが〈丁寧な挨拶である〉とか、それゆえその人が〈礼儀正しい〉と言えるのは、〈帽子を持ち上げることは丁寧な挨拶である〉という取り決めが西洋の伝統としてあるから。
D. 内在的意味(intrinsic meaning)
その人の「個性」を形成するのに寄与するあらゆる要素のレベル。
たとえば、その人が〈20世紀の人であること〉、その人の〈民族的・社交的・教育的な背景〉、その人の〈経歴〉、その人が〈いま置かれている環境〉、その人の〈ものの見かた〉など。
引用(松永訳):
「もちろん、このたったひとつの行為をもとにして、その人の心理的なあり方を描き出すことはできないだろう。それをするには、似たような観察をたくさんならべて、それらをわたしたちの手もとにある全般的な情報――その人が属する時代、民族、階級、知的伝統など――と結びつけて解釈しないといけない。とはいえ、そのようにして明らかにしうる質〔=その人の行為を形成している背景要素〕は、どんな個々の行為の中にも暗黙のうちにすでに内在している。逆に言えば、そうだからこそ、個々の行為はそうした質の観点から解釈できるのである。」
絵画作品の内容の層
絵画作品の内容(主題)も、上記の例のアナロジーで理解できる。
a. 内容以前の純粋な形式
画像表面のデザイン(色・線・マチエールのパターン)に相当。
b. 自然的主題
b1. 事実的主題
特別な取り決めなしに自然に把握される、〈どんな事実が描かれているか〉というレベル。
〈椅子である〉、〈しかじかの形状である〉、〈人間である〉、〈しかじかの姿勢である〉、〈全体としてしかじかの状況である〉など。
b2. 表出的主題
特別な取り決めなしに自然に把握される、〈どんなムードや感情が描かれているか〉というレベル。
c. 慣習的主題
特別な取り決めのもとではじめて理解できるレベル。
アトリビュート(持物)によって、どんな人物や出来事が描かれているかを特定できるケースが典型。
引用(中森訳):
「すなわち、ナイフをもった男性像が聖バルトロメオを表わすとか、手に桃をもった女性像が誠実を擬人化したものであるとか、ある配置とある姿勢で夕べの食卓に坐っている多人数の群像は〈最後の晩餐〉を表わすとか、あるいは互いにある闘い方をしている二人の群像は〈美徳と悪徳の闘争〉を表わすとかを知ることである。」
慣習的主題は、自然的主題を把握したうえではじめて引き出せるものである。その意味で、自然的主題は「一次的(primary)」であり、慣習的主題は「二次的(secondary)」である。
d. 内在的意味
個々の作品の「個性」の前提になっているあらゆる要素のレベル。
引用(松永訳):
「それぞれの民族、時代、階級、宗教的・思想的な信条の基本的な姿勢としてあらわれている根底的な原理――無意識のうちにひとつの個性〔=作家〕の手を経て、一個の作品のうちに凝縮されるもの」
引用(中森訳):
「それ〔《最後の晩餐》〕をレオナルドの個性の、またイタリアの盛期ルネサンスの、あるいは特殊な宗教的態度の記録として理解しようとするとき、われわれはその美術作品を、ざわめて多様な他の徴候となって現われる別物の徴候として扱うことになり、またその構図的・イコノグラフィ的特色を、この「別物」のよりいっそう特殊化された証拠と解釈することになるのである。」
様式論・イコノグラフィー・イコノロジー
パノフスキーによれば、美術史学のアプローチは、上記のどのレベルに主にフォーカスするかで次のように区別できる。
様式論
形式と自然的主題(aとb1と場合によってはb2)にフォーカスする。
イコノグラフィー(図像学)
慣習的主題(c)とそれを読み解くための取り決めにフォーカスする。
イコノロジー(図像解釈学)
内在的意味(d)とそれを把握するためのいろいろな情報にフォーカスする。
🐪 描写の哲学との関係
描写の哲学の関心
描写の哲学者は、描写ナラデハの問題に興味がある。
なので、描写の哲学では、慣習的主題(c)のレベルはほとんど取り上げられない。というのも、特別な取り決めによって意味が引き出されるというのは記号全般に言えるメカニズムであって、とくに興味深い論点ではないため。
おそらく同じ理由で、内在的意味(d)のレベルもほとんど取り上げられない。
描写の哲学が主に関心を持つのは、形式(a)と事実的主題(b1)の関係や、事実的主題の構造のさらなる分析である。
表出的主題(b2)も相対的に論じられることが少ない(なくはないが、表出については音楽を例にして論じられることのほうが圧倒的に多く、絵による表出はたんなる特殊例として扱われがち)。
表面と描写内容
この授業で言う「画像表面」「描写内容」は、パノフスキーの用語と以下のように対応する。
画像表面:形式(a)
描写内容:事実的主題(b1)
📌 重要
パノフスキーが区別する複数の意味の層とは別に、描写内容がそれ自体でさらに複数の層や構造を持つというのが、これから紹介する「描写内容の理論」の話である。