グッドマンに対する批判
🐪 リアぺからの指摘
類似を無視しすぎ
「グッドマンの素朴な類似説批判は納得できるところがありますが、それでもやはり素朴な類似説は直観的に肌になじむところがあると感じました。構造説においては類似説は徹底的に排斥されてしまうのでしょうか。」
慣習では説明できない面がある
「グッドマンの理論では、デフォルメされた絵のような実際に目で見た事物と似ていない描写がなぜそれに見えるのかは説明できそうだとおもいます。が、あるシステムの中である文字catが猫を表すのとある猫の絵が猫を表すのが同じように説明できるとは思えません。描写は慣習といったものとは違う物でも説明しなければならないのではないでしょうか。たとえば、古代エジプトの壁画の人は今の絵の様式とは随分違いますがそれでもほとんどの場合人に見えるように思います。」
「画像も伝統や慣習に基づく記号システムであるという主張にはやはり違和感があるように思います。デフォルメされた画像に関しては確かに慣習的な要素が大きく働いていると思われますが、写実的な絵画ならば、例えば見たことのない動物や行ったことのない場所が描かれていたとしても鑑賞者は何らかの情報を得ることができ、慣習や伝統とは異なる側面があるのではないかと思います。」
「グッドマンについて、どのようにして鑑賞者は「絵を描いたり解釈したりするための伝統・慣習」を身につけるのかが気になりました。例えば漫画を読んだことがない人に漫画を渡しても、あまり理解出来ないと思われます。絵についてもこれと同じことが言えるということでしょうか?(萌え絵などは確かに慣習が必要な気がしますが、ある程度写実的な絵は慣習がなくても内容の理解に困らないと思います。)」
🐪 グッドマンに対する批判
補色画像の問題
ウォルハイムは次のような思考実験でグッドマンを批判している。
線遠近法で描いた写実的な絵があるとする。
この絵の色をすべて補色に置換した別の絵を考えよう。この補色画像では、元の絵で赤かった部分(たとえば赤い屋根を描いている部分)は緑色になり、青かった部分(たとえば青空を描いている部分)は橙色になる。
この補色画像の内容を元の絵の内容と同じものとして解釈するための記号システムには、〈画像表面上の任意の色はその補色を表す〉というルールを追加しなければならない。
さて、グッドマンの理論にしたがえば、この補色画像の解釈に適した新たな記号システムも、問題なく画像的な記号システムの一種だということになる。なぜなら、統語論的稠密、意味論的稠密、相対的充満という条件をこのシステムは完全に満たしているからだ。
しかし普通に考えて、この補色画像記号システムは、われわれが普段画像を解釈する際の記号システム(そのようなものがあるとして)とは明らかに異質である。
https://scrapbox.io/files/61882e00f34dca001f24ce3c.jpg
https://scrapbox.io/files/61882e0eb35636001d5fbedb.jpg
自然生成性の問題
次のような常識的な事実がある:
言語を理解するにはいろいろな取り決めについての学習が必要だが、画像を理解するのにその手の学習はそこまで必要ではない。
画像が持つこの特徴は「自然生成性(natural generativity)」と呼ばれる。
グッドマンの構造説は、自然生成性の説明に難があるとして批判されてきた。
下記文献から引用:
「Goodman は、画像的な記号システムが、言語や他の記号システムと同じように、「恣意的」(arbitrary)で「規約的」(conventional)〔…〕なものであり、「決まりごと(stipulation)と慣れ(habituation)の産物」〔…〕であると主張している。言語モデルの批判者たちが標的にしてきたのは主にこの点である。たとえばWollheim (1987)は、画像一般が持つ「転移」(transfer)という特徴とGoodmanの理論は相容れないと指摘する。われわれは、ある様式で描かれた猫の絵を認識でき、かつ、犬がどのような外見をしているかを知っている場合、その様式で描かれた犬の絵を認識できるだろう。いままでその様式の犬の絵を一切見たことがなかったとしてもである。Wollheimによれば、画像的な記号システムが規約的であるというGoodmanの主張は、この転移という特徴と相反する。Goodmanの理論に沿って転移を説明しようとすれば、「フランス語の『chat』が猫を意味することを知っており、かつ、犬がどのような外見をしているかを知っていれば、[フランス語で]『chien』がなにを意味するかもわかるにちがいない、などというような[...]困惑させるものになるはずである」〔…〕。転移という特徴は、画像の解釈が、たんなる規約ではなく、われわれが持つなんらかの自然な認知能力に依拠していることを示している。」
松永伸司「言語としての画像」『東京芸術大学美術学部論叢』11号、2015年 https://researchmap.jp/zmz/published_papers/12128476
🐪 構造説の弱み?
グッドマン理論の弱み
画像を一種の記号として考えるにせよ、画像の解釈にはある種の「自然さ」がある。つまり記号と内容の結びつきに何らかの非恣意性(=有契性 motivatedness)がある。
グッドマンの理論だと、この有契性がほとんど説明できない(グッドマンはすべて「慣れ」で説明しようとするが、それでは説明できなさそうな現象がある)。
類似説、〈うちに見る〉説、再認説はいずれもこの有契性を説明できる。
カルヴィッキの構造説
画像的記号システムの条件として、グッドマンが挙げる3条件に「透明性」という条件を追加する。
「透明性」は、類似説的な素朴な直観を構造説の枠組みで拾うためのもの。
👉 カルヴィッキの透明性