境界事例についての疑問と考え方
Q&A
Q. 最近写真を簡単に加工できるようになって、肉眼で見るよりも色が鮮やかに見えたり、写真で見たほうが綺麗に見えたりすることもありますが、それは本物の写真といえるのでしょうか。
A. その例自体は微妙ですが、とりあえず、本当の意味で写真であることと、実物と同じように見える(あるいは美化されて見える)ことが別問題だということは言えます。ピンぼけの白黒写真は写真であり、ハイパーリアリズム絵画は写真ではありません。
Q. 胎児のエコー写真は画像に含まれるのか気になった。
A. ひとまず画像に含まれると言っていい気がします(エコーで映るのは物の形状であり、目に見えるものなので)。X線写真も同様です。とはいえ、境界事例との境目はシームレスでしょうね。
Q. 単純に疑問に思ったのですが、赤ちゃんや幼い子どもが何かを表して描いたものの、丸や線だけにしか見えないような絵は画像としての絵に含めるのか気になりました。
A. かなり微妙です。下記の「擦画期」や「錯画期」の絵は定義上画像ではないことが多いと思いますが、「象徴期」の絵については意図主義をどこまで適用するかという問題になると思います。描写内容の回(第5~6回)で部分的にそういう話をする予定です。
Q. 「画像」に立体物は含まないと書かれているが、絵画とくに油絵などは現物をみると凸凹していて光によって影ができていたりするのはどう考えるのか。それも画像の一部と考えるのか、無視して考えるのか。
A. 画表面上の特徴(マチエールやテクスチャーを含む筆致)は無視しませんし、そうした特徴が(少なくとも間接的に)絵の内容に影響を与えるという話も無視しません。とはいえ、じゃあレリーフも画像として考えられるだろう(そしてその延長線上に彫刻があるだろう)とかいう話になると微妙になってきますね。
境界事例についての考え方
記述的定義に対して反例や境界事例(borderline case)を示すことには一定の意味がありますが、理論的定義に対して境界事例を示してもあまり意味はありません。
仮に記述的定義らしきものであっても、議論の前提として問題となる領域を共有するにあたって、とにかく中心的な事例やぼんやりしたカテゴリーのイメージを示したいというだけの場合もあります。そういう場合は、細かいつっこみを入れても生産的な反応が何も出てこないということになりがちです。
とはいえ、境界事例の存在をつねに意識しておくことも重要です。世の中にあるものは、理論がぴったり当てはまるような典型的な事例ばかりではないので。
また、理論によって「中心/周縁/境界/外部」といった(価値づけを伴いうる)ポジションが個々のものに与えられるという事実にもつねに注意を払っておいたほうがよいです。これは何かを分類するときにはつねにつきまとう問題で、とりわけ歴史的に手垢のついた分類概念(暗黙の価値づけが深くしみついている傾向にあるもの)に対しては批判的な視点を持ったほうがいいでしょう。美学の領域でいえば、「芸術/娯楽」の区別などはその典型です。とはいえ、この問題を気にしすぎると、ほとんど何も一般化して語れないということになりかねないので、それはそれでどうかと思います。