〈うちに見る〉内容と認識内容の乖離の度合いでリアリズムが説明できるかどうか
🐪 前回の授業の問い
問いの前提
写実的(リアリスティック)な絵と様式化された(デフォルメの)絵の違いが何であるかは、描写の哲学が説明すべき問題のひとつである。
両者の違いは、一見すると以下のように〈うちに見る〉内容と認識内容の乖離の度合いで説明できそうである。また実際に何人かの論者がそのように主張している。
写実的な絵:〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に小さい絵。
様式化された絵:〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に大きい絵。
問い
これは、写実的な絵と様式化された絵の違いの説明として十分かどうか。
具体的には、この説明がうまく当てはまらない反例があるかどうか。
🐪 コメント
事実と違うケース
「十分に説明できていると感じる。そこに関して抱いた疑問を書き添えておく。現代では「写実」の解釈がかなり広がっているように思う。大迫力のCG映画が「まるで実写」ともてはやされ、実在しないものを表現したCG作品が「リアルですごい」と評価される時代である。例えば絵を見て「写実」と評価するとき、ポイントになるのは陰影・質感・遠近感など、モデルそのものとは少し離れたところ、表現技法にあるように感じるのである。そのせいで現代人は全く実在しない(リアルには存在しない)ものを描いているのにもかかわらず、写実的(リアルにある)という感想を持つ。この類の作品は形式化された表現を用いているわけではなく、デフォルメとはまた異なる印象を受ける。はたしてこれは「写実的」と言えるのだろうか?」
「写実的な絵と様式化された絵の違いについてですが、私は「目」の絵が反例になるのではないかと考えます。写実的な「目」の画像などは、虹彩の部分の彩度が上がっている(他よりかなり白い)ことが多いのですが、私が現実の中で眼を思い浮かべようとすると、黒目の中の虹彩はそれほど周りと彩度の違いがないように思えてしまいます。なので、写実的な絵であっても、目の部分だけを切り取って見てみると、白すぎるように感じ、デフォルメされているように見えることがあります。これは、〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に小さいのに様式化されている画像の例にならないでしょうか。」
部分だけ写実的
「十分ではないと思います。なぜかというと、人物だけか人物の顔か人物の目だけが様式化されて、絵の他の部分が写実的な例がたくさんあります。」
長いコメント(第8回)
「「写実的な絵と様式化された絵の違い」について、例えばアルチンボルドの『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』などのようなものは判断に困る例なのではないかと思います。実際に描かれている果物や野菜などに関しては写実的と言えそうですが、ルドルフ2世の絵として一般的には写実的と言われないと思います。」
非実在物・キャラクターの絵
「反例になるか分かりませんが、実物よりも創作上のそれの方が有名なものの場合は、デフォルメにより〈うちにみる〉内容と認識内容が近まると言えるような気がします。例えば「ビーム」は工業用のビームなどよりもアニメや漫画で出てくる(一種のデフォルメされた?)ビームのイメージが強く、前者を描写する際に写実的に描写するよりもアニメ的にデフォルメを加えた方が「ビームだ」と伝わると思います。今回の授業を受けて、「指示内容が実在しないのに写実的」な描写についても気になりました。」
「写実と様式の差異に関して言えばその説明で足りるように思われましたが、写実的な絵に限ると範囲の指定が必要であると思います。例えば、天使のを描いた場合。羽が実際の鳥の羽の認識内容と差異が少なく、人物描写も認識内容と差異が少ない場合でも、認識内容である天使は実在しないため、全体的に見ると〈うちに見る〉内容と乖離しているように感じられます。それとも、認識内容に現実性は含まれないのでしょうか。」
「架空のキャラクターを写実的に描く場合
…例えば、ドラえもんを写実的に描いた場合、認識内容はアニメや漫画のドラえもんを想定すると思われるので、〈うちに見る〉内容と認識内容の差は大きくなるように思われます。」
「キティちゃんを猫とみなした場合、〈うちに見る〉内容と認識内容の差は相対的に大きいと考えられますが、一般的に広く知られているキャラクターであるという前提のもとに考えた場合は、その差に変化は生まれるのか疑問に思いました。」
「写実的な絵について考えていた際こういう事例はどうだろうと思われるものがあったので書いておきます。例えば妖精やペガサスのような想像上の生物を描いた絵にも、妖精が人間に、ペガサスが馬によく似た姿で描かれており、両者から羽の部分を取り除けば非常に写実的に人間や馬を描いた絵であると見なされるものもあると思います。こういった実在しない存在を写実的な手法で描いた絵画というのは、写実的な絵に分類されるのでしょうか。」
「ポケモンのイラストが反例に当たると思う。多くの人は、ポケモンの公式のデザインにのっとっって描かれたイラストは様式化された絵であるとみなすだろうと思う。しかし、ポケモンの絵を見るとき、うちに見る内容と認識内容は実は乖離していない。ポケモンを、実在する生物の姿を参考にしながらリアルに描いた絵を見たことがある。例えば、ピカチュウはネズミをモチーフにしたポケモンであるので、ふさふさと毛でおおわれていたり、ゼニガメやヒトカゲなど爬虫類がモチーフのポケモンは鱗があったりする。これらの絵は写実的であるとみなされるかもしれないが、これらは「現実にいるかのように」デフォルメされているにすぎない。なぜなら、ポケモンの本来の姿は公式的なデザイン、つまりデフォルメされたものだと思われているデザインそれ自体であり、実在する生物に似た「リアルにいそうな姿」というのは元から想定されていないからである。ポケモンのイラストを見たときのわたしたちの頭の中にある三次元の認識内容は、むしろゲームに出て来る3DCGのポケモンである。」
特徴をよくとらえている似顔絵
「デフォルメされた絵でも風刺画のようにモデルの特徴をよくとらえたものであれば、モデルに似ていない写実的なタッチの絵よりも〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に小さくなることがあるのではないか。」
「絶妙に似ていない写実的な絵
…絶妙に似ていない写実的な絵とある程度デフォルメが効いている似顔絵を比べた場合、写実的な絵の方が〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に大きくなる可能性があるように思われます。」
慣れている表現
「ラストの問いについて:反例があるように思います。様式化された絵の方が、〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に小さいということもあるのではないでしょうか。例えば夏目漱石は右手を頭に当てているポーズの写真が有名ですが、もしも別のポーズをしている漱石の写真を腕の良い画家がまるで写真のようにリアルに写した場合、いくら写実的でもそれを「漱石」と認識できる人は減る気がします。逆に「いらすと屋」ほどにデフォルメした漱石の絵でも、右手を頭に当てているポーズをしていれば先程の絵よりもすぐに「漱石」と認識できる人が多いような気がします。」
下手な絵・作画崩壊
「〈うちに見る〉内容と認識内容の乖離の度合いで写実的(リアリスティック)な絵と様式化された(デフォルメの)絵の違いを説明出来るかという問について。できないと考える。〈うちに見る〉内容と認識内容の乖離の度合いはデフォルメの絵と同じであるのに、デフォルメではない絵は存在すると考える。単に下手な絵もその例ではないか。」
「デフォルメからちびまる子ちゃんやコナンの作画崩壊シーンを連想し、とても興味深く感じた。
参考映像
佐倉あましん 「アニメの作画崩壊を細かく見てみたらグロ注意だった」https://youtu.be/3Jc1NIaTDZU 」
一致というよりも自然な移行では
「まず、写実的な絵は〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に小さい絵であるとするのは妥当だと思います。一方で、差が相対的に大きい絵には様式化された絵だけでなく単純に下手な絵も含まれると思われるので、様式化された絵についてはもっと検討が必要だと思います。具体的には、差が相対的に大きい絵のうち様式化された絵とは、「指示対象に付与された帰属性質が、認識内容についての自然な解釈の邪魔になりづらい絵」である、といえると思います。例えば、目が顔の半分を占めるという帰属性質をもった絵でも、その絵の他の要素によってその絵が少女を示していると違和感なく解釈できるし、人面ブルドッグであるという帰属性質をもったチャーチルの風刺画でも、それがチャーチルであると自然に解釈できます。このように、〈うちに見る〉内容から認識内容への自然な解釈がどれだけ自然になされるか、という観点も必要だと感じました。」
「問いに対するコメントとして成立しているか分かりませんが、なんとなく説明がしっくりきませんでした。どちらかというと、〈うちに見る〉内容のこの部分を特に見てね、と見方を誘導されるのが様式化された絵、誘導されないのが写実的な絵、という認識でした。」
人によって判断が変わる
「写実的な絵とデフォルメされた絵の区別を、〈うちに見る〉内容と認識内容の乖離度に求めるのはシンプルで分かりやすい考えであり、基本的には十分な考え方だと思った。ただ、個人が〈うちに〉見る内容と認識内容の差を測るためには描写内容に関する前提知識が必要となる。例えば、一般的な林檎の写実的な絵が存在するとして、ある鑑賞者が本物の林檎を知っている場合はその絵が写実的なものとなるが、別の鑑賞者が林檎という存在自体を知らない場合(林檎の帰属内容だけを知っている場合など)やその鑑賞者にとっての林檎がいわゆる果物の林檎ではない場合(図像としての林檎だけしか知らない場合など)はその絵は写実的な林檎の絵とはならない。つまり、写実的かデフォルメかの峻別を個人がする場合には、ロバート・ホプキンズが述べたような「世界に何が存在するのか」などの知識の有無が影響を与える。」
その他の例
「講義の最後に出された問いについて、モザイクアートやドット絵は〈うちに見る〉内容と認識内容の差が相対的に大きくても、「写実的」に見える場合があるので反例として考えられるのではないかと思いました。
サブウェイアート~ニューヨークの地下鉄の駅に描かれたモザイクアート Qライン編
https://blog.looktour.net/ny_subway_mosaic/
ドット絵の立体感を出す方法。色々な立体を描いてみよう【ドット絵講座】 | モシナラ:もしも~ならを極めるサイト
https://moshi-nara.com/18207/ 」
「例えば水滴の中に映る反転した風景を描いた絵の〈うちに見る〉内容と認識内容の差はそれほど大きくないが様式化されているように感じます。」
「光、煙、湯気などを他の物質を描かずに表現する場合」
「写実的な絵とデフォルメされた絵の、うちに見る内容と認識内容の関係について考えてみて、例えばゴッホの「星月夜」は、様式化されているけれどもうちに見る内容と認識内容の差が小さいものと言えるのではないかと考えた。実際には夜空はうねって見えないし、月や星の明かりも描かれたようには見えないはずなので、デフォルメの程度は高いと言えると思う。しかし、明確に夜空と街並みを意図して描いていることがわかるので、表現方法としては独特のデフォルメがなされているけれども、形や色の内容と認識内容の差は大きくないように思えたのだが、このような例は反例として適当なのだろうか。」