知識の有用性と知識人の無用性
知識の有用性と知識人の無用性
Anti-intellectualism(反知性主義/反主知主義(こちらの訳は斎藤によるもの、前者は森本あんりによるもの。便宜上以下では前者を採用する) マッカーシズム
朝鮮戦争の行き詰まり、インフレの昂進を背景に政権を奪取しようとする共和党 知性的なアドレイ・スティーヴンソンを指名した民主党に対し攻撃
リベラル派(民主党の主流をなす)と知識人との結びつきを捉えた
諸悪の根源を知識人に求め、egg headと読んで嘲笑
スティーヴンソンはそんなegg headたちの象徴となって攻撃された
知識人を攻撃
反知性主義の風潮がアメリカ社会を広く覆った
反知性主義とは現実には何を意味するのか?
モートン・ホワイト
Anti-intellectualsとAnti-intellectualistsとに分けて解釈
リチャード・ホフスタッター
intellectとintelligenceとの観念の相違に注目
斎藤(本書)
反知識人主義と反知識主義とに区別してとらえる
アメリカ社会は一方で反知識人主義の伝統をもちつつ、他方で反知識主義の社会ではなかった
アメリカ社会の急速な発展
土地はじめ自然資源の豊富さ
身分制の相対的な欠如
人的資源の効果的な開発
知識の普及、ノウハウの尊重
教育への公共的関心の高さ
現実社会での知識の尊重
読書家、蔵書化
新聞・パンフレット類も豊富
憲法案の採否においても、高度に知的な議論が行われていた
しかし、あくまで「現実社会での」知識の尊重である
およそ文明社会において、アメリカ合衆国ほど哲学に対して関心を払わない国はないと思う。アメリカ人は彼ら固有の哲学学派を持たないし、またヨーロッパでいくたにも分かれている哲学学派についてもあまり問題にせず、その学派の名すらほとんど知らない ー『アメリカにおけるデモクラシー』
マール・カーティ
知識人という言語自体、20世紀になるまでほとんど使用されなった
kanasnote.icon知識がいわゆる知識人=一部の人の持ち物ではなくて、平等に与えられていたともいえる。『反知性主義』によると高等教育(神学博士など)を持つ人はほとんどおらず、そのかわり様々な人がハーバードに入学することが可能だった
知識の尊重・普及と知識人の欠落・不在
アメリカ社会では行動と区別される知識ないし思想(知識のための知識、思想のための思想)は18世紀、19世紀においてゆるされなかったといえる 植民地創設期のアメリカでは、生存・生活がまず不安定である
生存・生活の知恵としての知識が尊ばれた
逆に、知識のための知識をつんでいる余裕がない
知識階級の存在が、労働者不足のアメリカ社会において、価値的、そして現実的にも否定されていた
開拓されたばかりの西部社会で必要とされるのは、頑強さと、直接役に立つ知識
西部劇の「知識人」も医者やジャーナリスト、教師、牧師
「インテリ」はむしろ無用の長物として描かれる
労働力不足・身分制が否定されているアメリカ社会では、知識階級は貴族や軍人同様社会の気生物、怠け者、有閑階級とみなされ、馬鹿にされてきた
「役に立つ」知識の範囲の拡張
19世紀以降、「世界の工場」となり労働人口が過剰に 有用な知識の範囲が拡大
学者、研究者が増える
ジョンズ・ホプキンズ大学、コロンビア大学大学院のような専門的な学術研究としての大学もあらわれる
消費文化の一翼を担うものとしての小説家、ジャーナリスト、シナリオライターなど
知識人のグループ、知的階級は出現
ただし、基本的には知識の有用性が問われている
政策科学的志向、行動科学的接近法がアメリカ政治学会では重視(1950年代)
批判者としての有用性
自己の属する社会を批判することによって、その知識の有用性を発揮する
ヘンリー・ジョージ、エドワード・ベラミー、マックレイカーズ
むしろ社会では、有害性、有毒性を示すものとして受け止められていた
しかし、ベトナム戦争引き上げなどの背後には有害な存在とされた知識人のベトナム戦争批判も作用した
批判的な形体での知識の有用性は証明されたといえる
まとめ
アメリカ社会は知識をおおいに有用視してきたが、知識人を無用視、有害視してきた
アメリカの知識人の緊張と焦燥、疎外感